月別アーカイブ: 12月 2013

レゴは教育にいいっぽい。 ~作りながら学ぶ①~

「レゴは教育にいい」

これは、私の持論です。
とか言っちゃっていいのかわかりませんが、言ってしまいます。

自分で言ったらとてもイヤらしいのですが、私は受験的にはエリート街道きてます。(あーいやらしw)
受験エリートです。
そんなもん、実社会では何の役にも立たないと言われ、私も実際そう思うんですが、
それでも、そういう事に興味のある親っていうのはたくさんいるわけです。
本屋いっても、「T大行く子の親が何をさせてたか」的な本はいっぱいありますよね。
そんなわけで、「ちっちゃい時、どんなことしてた?」って聞かれる事は多いのです。
友達世代が子供を産んで育てる時期になって、ますますそう聞かれる事が増えました。
先日もそんな機会がありました。

そういう場合には「レゴやってた」と答えてます。

親が割と姉のピアノにかかりっきりだったこともあって、
ちっちゃい頃の私は割と親の関わりが薄かったように思います。
文字も教わっておらず、姉が勉強しているのを逆から見ながら学んでいたらしく、
ちっちゃい頃は鏡文字ばかり書いていたそうです。

そんな私が親から与えてもらった唯一の物がレゴ。

レゴって言っても「●●を作ろう」みたいな目的のあるものではなく、
基本セット。
バケツっていうやつでしょうか。
それで日々色々と組み立てたりして遊んでました。
むしろ、それしか遊びがないくらいだったので、それに没頭してました。

最近、似たような事を言ってる人に出会いました。
東大卒タレントの八田亜矢子さんです。
(最近結婚されました。おめでとうございます。)

「親から与えられた唯一のおもちゃがLEGO」という状況も同じみたいです。

このLEGOと、最近再会する事がありました。
某自治体の10年次教員研修です。
中原淳先生が行う研修の中でLEGOを使いました。
中原先生のブログ
自分が経験した●●をLEGOを使って表現し、
かつ、それをもとにグループのメンバーに語るというものです。
語る事によって、内省を促すという事です。

八田さんのお話や教員研修が私の子供時代とどれだけ共通するかは分かりませんが
「教育にLEGOはいい」という想いを(勝手に)再確認するには十分でした。

さてさて、じゃーなにがええんでっしゃろ、と思って色々とポチポチ見てたら(←暇人ではない)
「コンストラクショニズム」という理論に出会いました。

コンストラクショニズムとは、MITのシーモア・パパート教授が提唱している理論で、
「知的好奇心と探究心を持って、創造的な活動(=ものをconstructする)に没頭している過程で、
自ら知識を発見し、知識相互の関連付けをしながら体系を作り上げて行く(=知識体系をcunstructする)」
という事です。
要は、「作りながら考えると思考が活性化する」って事です。
雑ですみませんw

根本には、教え込まれるよりも、自ら知識を生成していく方が良いという考えがあります。デューイ的な。

で、そのためには、それを促すような経験させたらええんでないの。という事でしょう。
面白くて、しかも、ある程度思考が必要な体験させるのがええんでないの。
だったら、レゴなんて丁度ええんでないの。という感じでしょうか。

LEGOというのは、そういう意味で没頭しやすいし、想像を書きたてる部分があるので、最適なんでしょうね。
自分と八田さんの経験を勝手に繋げると、「それしかない」なかで、レゴを作りながら色々と考えていたんでしょうね、きっと。
子ども自身がおもちゃに支配されるような遊びではなくて、子どもがおもちゃを使って色々と想像するような遊び、
そういう遊びを自分の子どもにはさせたいなと思います。

研修の場面で言えば、作っていると、それに伴って過去の経験が整理されていくようなイメージかもしれません。
あと、「大人の研修で使う」場合のメリットとしては、「上手い下手の差が出にくい」というのもいいように思います。
大人は、どうしても人に見せるとなると自分と他人を比較してしまいがちだと思います。
「絵」とかだと、どうしても上手い下手に興味が言ってしまって、こわばってしまうような気がします。
その点レゴは、もちろん、「超LEGO得意」っていう人もいないとは言えませんが、
でも、短時間に適当に作るという意味では、そんなに差が出ないように思います。

その辺も、ナチュラルに没頭できる鍵になっている気がします。

さてさて、色々てきとーに書いてきましたが、それそろ終わりにしようかと思います。

そして今年もそろそろ終わりです。

去年の紅白、美輪さんの歌が衝撃的でしたが、
あれからもう一年経つんですね。

はやいはやい。

ばいやーばいやー。

参考:http://www.truth-academy.co.jp/company08/sisen/sisen02.htm

こころ。

希望を語る事は簡単だけど、本当に希望を持たせることは難しい。
正論を言う事は簡単だけど、正論を心に刺す事は難しい。
優しい事を言う事も簡単だけど、本当に安心させる事は難しい。

ちょうど一週間前、ある学生と話した時にそんな事を感じました。

 

 

精進だわ。

 

 

でも、こういう事こそが教員の仕事という気がする。

【ウィリアム・ウォードの言葉】
The mediocre teacher tells.       普通の教員は指示をする。
The good teacher explains.       よい教員は説明をする。
The superior teacher demonstrates. 更に優れた教員は手本となる。
The great teacher inspires.       偉大な教員は心に火をつける。

教員の仕事は、子どもの内なる心にどう関わるか、が問われると思う。

inspireというと、前向きに何かに向かわせるイメージだけど、それとともに、
本当に痛みを感じている人のそばにいて、安心させてあげられる事

これも同様に、偉大な教員の条件だと、私は思う。

明日・・・

明日は文教交流会だ。

色々な方と出会える事を楽しみにしています。

よろしくお願いします。

・・・と、その前にパネルディスカッションだ。

「教育を評価する」

どんな話になるんだろ。

去年あたりから量的調査をすることになったし、その経験を踏まえつつですが、、、

基本的には色々と課題を指摘した方が面白いかもしれません。

まぁ、どんな流れになるんだろ。

楽しみです。

ではでは。

文系大学院生のキャリア③ ~博士号と卒業/満期退学~

院生キャリア】カテゴリー

今日書く事は、今、博士課程に来てる人には当たり前。
でも、そうでない人には意外と知られてない。

そんな話です。

大学院をもともと目指している人は知っている。
でも、これから目指そうとしている人はあまり知らない。

そんな話かもしれません。

私も以前は知りませんでした。
そして誰も教えてくれませんでした。
ま、大学院生になれば自分で情報収集するのは当たり前ですけど。
でも、誰か教えてくれたらイイのに。とは思いました。

そんなわけでここに書いときます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

今回の話は「博士号」と「博士課程を出る事」の話です。
学士の場合、「学士取得」と「学士課程を出る事」はセットですよね。
修士の場合も、「修士号取得」と「修士課程を出る事」もセットですよね。

ですが、博士課程の場合はそうでもありません。
とらないまま博士課程を出る、という事が結構あります。

要因が二つあります。

一つ目。
博士号を取るというのは、当たり前ですが、結構難しいことなのです。
本来の期間である3年で、博士号を取りきれない場合が結構あります。
色々な条件もあります(査読付き論文●本、とか)
3年で取らないのが普通、、、くらいになってるところもあるかもしれません。

二つ目。
博士号を取らないままでも、就職が出来ちゃうということ。
これは一部の領域、一部の人かもしれませんが、それなりにいます。
大学の公募を見ると、助教とか講師くらいだと応募条件に
博士号取得【か、それと同等程度の研究実績】
というようになってる事も多いです。
博士号を取らないまま就職するというパターンも結構あるのです。

では、博士号を取らないまま出るとどうなるか。

まず「単位取得満期退学」という事になります。
言葉通り、「単位は取得し、期間的には満了したけど、退学だよ」
てことです。

次に、キャリアとの関係。
博士号を取らないでも、最初の就職は出来ると言いました。
研究者のキャリアは、
①非常勤からスタートし、②任期付きの常勤職となり、③任期なしの常勤職(いわゆるテニュア)となり、その中での昇進(講師→准教授→教授…)
という段階を経ていきます。

①は博士課程在学中でもやれます。
②は常勤職なので、大学を出ないとやれません。ただし、上述した通り、博士号なくてもやれます。
③も博士号なくてもいけます。ただ、昇進が途中で止まっちゃいます。
博士号がないと教授にはなれないと言われています

ま、単純に言うと、博士号無いと教授まで行けません。
逆に言えば、博士号なくても、任期無しの准教授までは行けます。
そんなわけで、博士号を取る前に割と良い就職の口が在ったりすると、そちらを優先する事もあるのです。

ただ、「教授になれない」というのは大きな影響力を持ちそうですよね。
研究者になる人が「教授になれない」という道を簡単に選択するとは思いませんよね。

・・・その通りです。
もしそれ(博士号取れない事。教授になれない事。)が完全に決定してしまうなら、博士号取る前に満期退学する人はあまりいないでしょう。
それに対しては別の手段が残されています。
満期退学しても博士号取れる道が残されているのです。

単位取得満期退学をしても、三年以内に博士論文提出すると、博士号が取れるのです。
在学中に博士論文出した場合と同じ博士号が取れます。

また、三年以上たってしまった場合にも、条件(より厳しい条件?)を満たせば博士号が取れます。
こちらは、在学中に取る博士号とは多少違う扱いにはなりますが(前者が課程博士・後者が論文博士と言います)ですが、それでも博士号は取れます。

さて。

色々ぐちゃぐちゃと言ってしまって大分長くなってしまいました。

もう、やめましょ。

最後にサクっとパターンをまとめると、

A博士号とって卒業(課程博士)
B博士単位取得満期退学 ⇒ 退学後3年以内に博論提出する(課程博士)
C博士単位取得満期退学 ⇒ 3年以上たってから博論提出する(論文博士)
D博士単位取得満期退学 ⇒ 結局出さない

というような感じですかね。

ではでは。

こんなトコで終わりたいとおもいます。

さいなら~。

「みんなで」関わる教育 ~ドリームネットから文教交流会~

この前の土曜日は、ドリームネットの教育企画でした。
教育に興味ある学生と教育に関わっている卒業生とをつなぐイベントです。
そこで、パネラーとして少ししゃべらせていただきました。
今回のパネラーは、文科省や学校現場、民間やNPO、私学も公立も含めて、
結構幅広い立場の人がそろったのではないかと思います。
https://www.facebook.com/events/613211432058923/permalink/626457490734317/

さて、内容としては日本の学生の「自信のなさ」(自己肯定間の低さ?)がテーマでした。
全体的には

●勉強と運動以外の評価軸が必要。
●教員も含め、周りが褒めることが大事。一方で、「自分で考えて決める」経験を積み重ねていく事も重要
●↑のような機会が提供できるよう、行事等も含め、色んな面にスポットライトを充てる工夫が必要
●そのためには、学校以外の民間やNPOと協力する事も有効な手段
●制度面からの地ならし(基礎作り)も重要

といったような話になったと思います。

自分自身の考えの整理にもなりましたし、また、他の立場の方々(と言っても、今回は知り合いが多かったですがw)の話をきけたこともとても勉強になりました。

ありがとうございました。

ところで、最後は卒業生からのメッセージでした。
奇しくも、そこでは多くの卒業生が似たようなメッセージを発しました。

「みんなでもっと教育に関わっていこう」 という事です。

加えて、それぞれの卒業生が関わっている、「学生が教育に関わっていけるような場」を
紹介しました。
例えば、鈴木さんが理事長をされている学校では学生ティーチャー(?)を求めてらっしゃいました。
安原さんが以前やっていたLearning for allはまさにそういう事が趣旨です。
讃井さんらと私が一緒にやっている学校づくりゼミ、白川さんらを中心に私も関わらせていただいてる文教交流会も、
そういった想いを持った場です。

様々な立場の人たちが集まったにもかかわらず、このようなメッセージになったという事は、
やはり、「社会の多くの人が教育に関わっていく事」が今後の方向性の一つになっていくんだと思います。

(ただ、“外からの関わり”が学校にとって一定のリスクを伴う事にも、配慮が必要だとは思います。:参考→別記事

さて。

ここから先は、告知・宣伝です。

↑でも書いた「文教交流会」が今度の日曜日にあります。
文教交流会の「文」は文科省、「教」は教員を表しています。
もともとは、文科省の若手官僚と現場教員とが交流する場でした

「役人は現場が見えてない」「教員は全体が見えてない」・・・お互いがそんな風に思って壁を作っていては、教育は良くなりませんよね?

立場をこえて、「教育を良くしよう」と思う人たちが、自分たちの考えを素直に表明しながら、お互いを理解していく。

そんな場が必要だとは思いませんか?

現在は、「教育行政」や「学校現場」だけでなく、研究者や出版社、民間企業、NPO、学生など様々な立場の方々が、
「立場をこえて教育の未来を考える」場になっています。

教育に興味のある方。

是非参加してみませんか?
ブログ
FBページ

(参加申し込み方法は、ブログに記載されています。
 数十名程度の方が参加される見込みです。
 今回のテーマは「教育を評価する」です。)