学校が変わるという事① なぜ苦手か

前にもどこかに書いたんですが、学校と言うのは根本的に変わるのが苦手だし、
そもそも簡単に変えにくい性質があると思う。

以下、ポイントを4つ書いてみた。

◆①子どもという「最大の不確実性」を抱えているということ。

子どもほど、動きが読めないものはない。
なんで?なんでそれした???どーーーーーしてーーー?
っていう予想の斜め上どころか、
予想とは全く交わらない「ねじれの位置」にあるくらいの行動を取る事ってありますよね。
個人ではそれなりに想定できても、子どもの集団になった時、どんな変化が起こるかっていうのは、
かなり想定は難しい。

で、それを前提とすると、子どもの変化に柔軟に対応するには、
前提となる仕組とか制度は出来るだけ確実なものであってほしいと思う。
そうすると、実績ある過去の仕組みに頼る方が整合的。
仕組み自体に不確実性があるなかで、子どもの不確実性に対応するのは不安、ということ。
その気持ちは分かる。

◆②修正主義を取りにくいという事。

やってみて修正、はもちろん大事なんだけどね。
「やってみて」が難しいのは、二つの意味がある。

一回性と平等性。
例えばある年の2年A組で●をやってみました、と。
一回性は、その年の2年生にとって、「2学年」はその時しかないということ。
そうすると、その時の2年生の結果をもとに修正して次の2年生(その時の一年生以下)に活かせても、
当該の2年生はその恩恵を受けられない。
恩恵を受けられないならまだしも、その年だけ不利益を受ける事もある。

平等性は、A組がやったのに、B組がやってない、という事。
やってみたことが失敗すればA組が不利益、
上手くいけば、B組が不利益を受ける。

。。。いや、どちらも不利益を「受ける」と書きましたが、
性格には不利益を受けると「感じる」ということ。
一番敏感なのは誰か。

保護者かと思う。
客観的に社会的に見れば、修正を繰り返しながらやっていけばいいんだ、
やっていかなきゃいけないんだ、ということは分かる。
ただ、「当事者」になると、そこを受け入れるのってかなり難しい。

例えば、受験という制度が「社会的に」良くないのは分かる。
でも、自分の子どもが受験の時に制度を変えられるのは避けたい。

受験であればお役所に文句言うまではしない。
というか、文句言っても仕方ないというのをどこかで受け入れるけれども
学校と言う身近なものが修正主義で何かをしようとした時には、
全力でそういう不利益(の可能性)を避けようとするだろう。
少なくとも一定程度、そういう親は出てくる。
親が学校に不満を持つという事は、子どもが荒れる芽を育てるという事。
荒れてしまえば、もともと不満を持ってなかった子にも不利益が出る。

そういう意味で、修正主義は取りにくい。

◆③「変えない」事に慣れてしまう事。

①②で書いたように、学校の仕組みそのものに「変えにくい」事情はある。

しかし、地球は回り、時代は変わる。
子どもが変容すれば、変えなければならないこともある。
その時に対応せねばならない事や、乗り越えなければならないことがあるのは
学校としても分かっている。

しかし、それを感じつつもなんとなく、必要以上に「変えない」に拘ってしまうのは、
「変えない」を続ける事によって、「変える事への不安」が増幅してしまうこと。

最初は①②を含めた冷静な判断で「変えない」だったかもしれない。
しかし、それにばかり従って変えないでいると、変える事への不安はさらに大きくなる。
さらに変えづらくなる。スパイラル。

◆④楽をしたい教員もいるという事。

一定数います。
残念ながら。
変えない方が単純に楽ですから。

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こんなような事が考えられる気がしました。
もちろん、これらも単純じゃなくて、例えば保護者が学校の決定を不安に思うのは
何かしら信頼を失わせる何かを学校がしてきたからというのもあるだろうし、
教育行政が教職員の専門性をないがしろにしてきた部分もあるかもしれない。
色々と考えられるし、関係しているのだろうけど、とりあえず思いつくものを
挙げてみました。

今回、これを書いたのは

学校の外から見る「硬直性批判」の中には、どうも④に向けられているものが
結構あるように思いました。
学校の中にも、「楽したいだけだろ」批判は結構あります。

でも、冷静に①②というのはふまえなきゃいけないと僕は思います。

「変えるのがめんどいだけだろ!公務員だし!」みたいな側面はないとは言わないけど
それだけじゃないということ。

①②をふまえつつ、それでも「変えるために一歩踏み出すべきか」を考える。
もし変えねばならないのなら、③④を乗り越えるためにどうするか考える。

不必要な「変えない」論、きちんと考慮すべき「変えない」論。

両者が切り分けられないだけに、余計に難しい。
けど、どっちかだけではないよ、という話。

おしまい。

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