歴史の因果を教える事について。
今現在、ある出来事の因果関係について、歴史学の最先端でわかっていることが10あるとする。
ただ、それは、学生が学ぶには複雑すぎたりするので、教科書では1しか説明していないとする。
そんな時、教員が意欲的に教材研究をすすめ、授業を作り、教科書をこえて3まで教えたとする。
そうすると、こんなつっこみがきたりする。
「それは単純化しすぎじゃないですか。残りの7はどうなるんですか」
たしかに、10教えられたらいいんだけどね。
でも、そんな時間もないし、それに耐えられるだけの能力も児童生徒は持ってなかったりする。
だいたい、その意欲的な取組みをしなけりゃ1しか教えられないじゃん。
残りの9はどうなんの???
とは思う。
でも、自ら教科書をこえて教えるという事は、その内容に責任が発生するという事。
教科書どおりに1しか教えなければ、その内容について授業者が責任を問われる事は無い。だって教科書の通りおしえただけだから。
でも、自分の意志で範囲を広げたなら、その広げたことに責任を持たなきゃいけない。
7捨象してる事に責任を持たなきゃいけない。
確かに。
ただ、1をこえて3教えるってことは、それは、「3で終わりだよ」って言ってるわけじゃない。
1から3に増やす方法を教えるんだと思う。
そうすれば、今の時点では3までしか分からなくても、いつか、3から10に増やす事が出来るかもしれない。
教科書に載ってる事は、どうやったって受け身の学習になる。
そこに答えが書いてあるから。
教科書だけで教わった子は、いつまでも1のままだろう。
自分で獲得できないから。
教員が導きながらも、自らの力で1から3に増やす事が出来れば、いつか、自分の力でそれ以上の部分をつかみとれるかもしれない。
そういうことだとおもう。
1だけ教わった子たち、自分で歴史を獲得した事のない子が、ネットで、より自分たちにとって心地よい歴史解釈を目にすれば、無批判にそちらに傾くんだろう。
きっと。
話しそれた。
まとめると。
子どもたちがいつか10に到達する可能性を高めようとすると、その場で10を教えない事の責任を取らなきゃいけない。という感じ。