月別アーカイブ: 7月 2014

「口説ける人」が上手い校長!?①

昨日まで三日間、元兼正浩先生(九州大学)が東大にいらっしゃって、集中講義をしてくださいました。
三日間で15コマ、計25時間というゴリゴリな感じの授業でしたが、
元兼先生のパワフルさ、話の引き出しの多さ柔軟さ、それから、アクティブな活動が多かったこともあって
全く飽きない三日間でした。。。疲れなかったと言ったらうそになりますが(笑)でも、飽きる事はなかったです、ほんとに。

授業は、校長の専門職規準を、ケーススタディなどをふくめて、噛み砕きながら理解していく形になっていました。

正直に言うと、私、専門職規準だけを見ていたときは、「お題目」感があるなぁ。。。(おこられてしまう!泣)と思っていたんですが、元兼先生の授業を聞いて、かなり腹に落ちたような気がします。

以前にも書いたんですが、学校って環境に合わせて適応していく事は必要(もちろん変わらない部分も必要)で、でも、なかなか変わりにくい。

例えば、AとBがあって、AをやめてBをやるという時。

Aにだってもちろん意味がある。
Aを楽しみにしている子もいる。
Aが成長のきっかけになる子も当然いる。

「だから、今年もAをやりたい」と言われたら、それは、ここだけ見たら確実に正論。

そして、AとBを比べるのも難しい。
例えば、AとBを比べた時、Aによって成長する人数とBによって成長できる人数ではBの方が多いからBをやる。
。。。そんな論理は学校では通りません。
「人数で単純に比較できるものではない」でおしまい。それもその通り。ま、3人と200人とかなら簡単ですが。

あるいは、子どもや保護者がBを求めているから、というのも、それだけでは理由にはならない。
子どもや保護者が求めているものをやって子供が成長するとは言い切れないから。
教育ってそんな簡単なものではない事を誰もが知っているから。

じゃーどうするか。

それは、口説くしかない。
「あの人が、ああいうのなら、そうしてみようか」と思われる人間になれるかどうか、という事です。
もちろん、職務命令として人(教員)を動かす事は出来るけど、「しょーがないからやるしかない」では、その先にいる子供までは動かせません。
教員が「いっちょやってみるか」とならなければ、実のある学校経営は出来ないでしょう。

では、どーやって口説くのでしょうか。

手八丁、口八丁という意味ではありません。
かっこいいかどうか、という事でもありません。

普段から次のような事をやって「口説ける人間」になっているかどうか、が問われます。

ここから先は、実際に授業を受けてないと伝わらない部分だと思います。
元兼先生の「次世代スクールリーダーの条件」を読むと、色々わかるかもしれません。

口説ける人になるポイント、幾つかあります。

まず一つは、プレゼンス(存在理由)の確認から。
私は何故ここにいるのか、そして、何をしたいのか。。。

この確認をふまえないままに業務をしていると、恐らく、毎日、ドリフト(漂流)する事になるんじゃないかと思います。
校長職は、非常に多忙で責任の大きい仕事ですし、難しい判断を毎日迫られる事、これに対処する事で精いっぱいなのが普通だと思います。
それだけで教員の心をつかめるかというと、そこは運任せになる所も大きいかもしれません。

教員との関係は、相性もあるし、諸々の文脈もあるし、当然うまくいくかどうかは不確実です。
でも、これを出来るだけ緊密にし、口説ける人になり、ビジョンを共有して、組織がまわるようにする。
そのためには、「しかけ」も必要だし、「スキル」も必要だし、なんらかの意図がないとなかなか出来ません。

それらを行っていくうえで、まず、自分の立ち位置を見定めるのが、この、「プレゼンス」の確認です。

それから、一つは、政策に対する判断。

現代は、教育改革「」の時代です。
様々行われます。学校や教員に降り注ぎます。
しかしその中には、社会問題と教育問題をごっちゃにしたり、メディア等の言説によって構築された問題を背景として行われている事も数多くあります。
これらを噛み砕き、自分の学校にフィットする形で実施する(時にはつっぱねる?)。
こういった事をしてくれる、こういった事が出来る校長でないと、教員の信頼は得られませrン。

下手したら、「委員会の方ばっかり見てる」というような印象を持たれかねません。

まず子ども、そして教員、そちらをきちんとみて、「政策判断」というか「政策の解きほぐし」のようなものが出来る人でないと、信頼が得られません。
これも「口説ける人」になるポイントの一つです。

他にもいろいろある(例えば、単純だけど、教員の事をよく見ている人)のですが、それは次の機会にします。
幾つかのポイントを経て、「口説ける人」になる。
その「口説ける人になる事」が、「ビジョンの共有」を可能にする。

よくあるのが、「ビジョンの共有が出来ている学校は●●、できていない学校は◇◇」という話。
でも、そこで当然問われんのは、「じゃ、ビジョンってどーやってきょーゆーすんの?」と。

言うだけ言えばみんな従うわけ、、、、ありません。
論理的におしこめばいいか、、、、んなわけありません。

「共有」のために「口説ける」ということ。

教育経営学会の「専門職基準」が腹に落ちた、落ちまくった、そんな三日間でした。
疲れましたが、非常に充実した三日間でした。
なにより、先生とお話して、仲良くなれたのが嬉しかったです。

二日目の夜に懇親会したのですが、途中からかなりハイペースに飲んだので、要らん事を言っていないかが心配ですが、でも、楽しかったです。

またもう少し時間のある時に続き(②以後)を書きたいと思います。 では。

10年次研修を終えて。

昨日は、横浜市の10年経験者研修でした。
昨年度までは中原先生の研修をお手伝いする立場でしたが、今回は登壇者としてお話する機会を頂きました。
(いつもの通り、中原研OBで青山学院大学助手の脇本健弘さんと一緒です。)

研修写真
(中原先生ブログより)

基本的なストーリーは、、、
かつて、学校内で自然に行われてきた教員育成のシステムに危機がおとずれており、
いかにして、ある程度システマティックに、しかし、押しつけがましくない「学びのシステム」を作るか、ということ。
このお話を、理論的な部分(特に経験学習)、横浜市で行った定量的調査の結果を絡めながらしました。

この研修には、特徴的なポイントが三つあったと思います。

一つは、「サーベイフィードバック」
日本のどこかの誰かから得たエビデンスをもとに話すのではなく、横浜市の教員を対象にした調査結果を
横浜市の教員に返すという事。
自分の職場を表す「データ」というのは、やはり、単なる「一般論」とは違って、より説得的な数字になります。
これは、「自分ごと」で聞いてもらうことにつながると思います。

二つ目は、「ワークショップ型」
ワークショップ型教員研修はわりと増えていると思いますが、「プレイフル」な形で行われているものは
なかなかないように思います。

教員が全員真面目だとは思いません。というか、自分の周辺にいる教員の方々を見ても、
くそまじめだなとは全然思わない、柔らかい人達ばかりだなと思うんですが、殊、教育委員会となると
やはり「きちんとしなければならない」という意識がはたくのかもしれません。
そんなこともあってか、他の自治体で行われている教員研修というのは、「堅め」のものが多いように思います。
ワークショップ型の研修も多いのですが、その大半が、付箋ペタペタ系の活動が多いと思います。

もちろん、「堅い」研修にも重要な意義があって、おさえるべきポイントを確実におさえるという意味では
リジットに行う事は大切だと思います。
ただ、一方、「プレイフル」な形の研修もあってよいのではないでしょうか。
クソ暑い夏休み、午前中部活した後、わざわざ電車乗って、集まって受ける研修ですから、
ところどころ楽しさがあってもいいように思います。
そんなわけで、昨日は、レゴワークショップをしました。
レゴを使った研修は、一般的にはそこそこあると思いますが、
教員研修でレゴを使うのはなかなかないと思います。

個人的には、250人のそういうアクティブな取組みを仕切るというのは完全に初めてでした。
子どもに指示する以上に、よりきちんと意図を伝えないといけないという事を
改めて感じました。

三つ目は、「おさらい」付きである事。
昨日の研修は、1月の研修とセットになっています。
「若手育成のために、この半年で何か実践してくること」が宿題です。
その宿題の成果を発表する機会が半年後に用意されています。
こちらは、1000人の前で何人かの方が発表する形になると思います。

ま、そんなこんなの特徴がある研修をしました。
長くなってきたのでそろそろ終わりますが、今回は、お手伝いだけでなく、実際に研修をやる側になって
恐ろしくたくさんの事を学びました。
先生からはダメだしを色々されました。これを次につなげる予定ですが、
ただ、自分としては、わりと 【楽しく、自分らしく】 出来たと思います。

会場には、昔の先輩方がおり(ま、昔のといっても、ちょこちょこ飲んだりしてますが)
先輩方からも良かった的なコメントをいただいたので、とても嬉しかったです。

その嬉しさのせいで、あまり飲んではいけないビールを飲んでしまいました。(つーふーが・・・)

アドレナリンとドーパミン出まくりで、ドキドキでヘロヘロでヘトヘトになりましたが、
とてもエキサイティングな一日になりました。

140723研修場面
(一部編集)

最後に、宣伝になりますが脇本さん・私は、他の自治体や大学・教職大学院等でも
同様の形でのお話が出来ると考えています。
(すでに何度かそういう機会を頂きました。ありがとうございました。)

もし、そのような事でご興味のある方がいらっしゃいましたら、
是非、cdai80@yahoo.co.jp(cdaiハチゼロ アットマーク ヤフー)までご連絡いただけたらと思います。
よろしくお願いします。

【中原先生のブログ】

コルトハーヘン ~勉強会参加につき、改めて読み直し。ただし、ちょっとだけw~

昨日、コルトハーヘンさんのリフレクション理論・実践に関する勉強会に参加しました。
3月ごろからこのコルトさん関連のイベントに参加するようになって、今回で二回目。

前回参加する時にも、いわゆる緑本を読んだんですが、
今回改めて読んでみることにしました。

『教師教育学-理論と実践をつなぐリアリスティックアプローチ-』

↑この本です。

今回は3章を読みました。
改めて、色々と印象に残る部分が多かったなと思いました。

ブログという事で印象に残ったとこをざっくり。

・教師教育者に大切な事。3原理。実習生自身が「何を学ぶべきが気付く手助け」「有効な経験をする手助け」「省察を手助け」する。

・三つは同時に起こったりする。省察する事で学ぶべき事に気付き、必要とする活動を知る、など。

・プログラムを組むうえで重要な点。「①安心と挑戦のバランス」「②個人的(個性的)な学びである事」
①→安心がなければ挑戦(ストレッチ)は難しい。そのためには、例えば、受け持つ授業の時間数を少なくしたり、授業についての最終的な責任を指導教諭が負う
②経験・長所・短所・願望・目的がそれぞれ異なるので、学びは当然個々の人間にあったもの(個人的・個性的)になる。個性的な学びを行ううえでは、「省察と活動」の繰り返し。

・これらを合わせて考えると、教師教育者の「専門性」のようなものが見えてくる。

安心と挑戦のバランス、省察と活動の繰り返し。こういった原則は【計画的】にプログラムを組むことが大事になる。
一方で、個人的な学びは、個人的であるが故に、固定的な学びの帰結は有り得ない。どう転ぶか分からず、【予測が難しい】ところがある。
【予測が難しい】ものを【計画的】にやる。これは相当に難しい。

『リアリスティック・アプローチでは、教育実習生の個人的なマン日のプロセスがどのような方向に進んでいくかを予測して先に述べる事が難しく、時には予測が逆効果を招く事があるので、それをリアリスティックアプローチにとっての課題であるか不可避の問題であるとみなす人もいるかもしれません。(・・・)一方で、長年のリアリスティック・アプローチの経験から、IVROS教育研究所のプログラム・スタッフたちは、実習生たちがどのような守衣類の実践経験からどのような問題や関心を抱える事になるか、そして、どのような種類の理論がそうした問題や関心と効果的に結び付けられるルカ、という事をとても正確に言い当てられるようになりました。(pp.74-75)』

これが出来るようになる事は、もし、コルトハーヘン流の教師教育を実践に移していくうえで乗り越えるべき壁になる気がする。

・実習などを含め、リアリスティックアプローチを置くナウ上で鍵となるのは、学校と教師教育機関との関係。↑のような専門知があったとしても、学校と連携採れてなければ、その方向性を実習中に口出す事は難しいんでしょうね。「共有される信念と共有されない能力を互いが尊重する事」これはとても大事でしょう。
が、日本の現状では上記のような専門性を持った人が少ない(福井大とかにはいるんでしょうか)うえに、そういう人が必ずしも学校と連携がとれるとも限らないし、ここも乗り越えるべき壁なんでしょう。本では、指導教諭に、IVLOS内の非常勤の役職を与える事で関係を作っていったと書いてありました。日本だったらどうするんでしょうか。ますます、これに近い実践をしていると思われる福井大を見に行ってみたくなりました。

・もう一つの鍵は、教師教育機関内での統合。つまり、実習生の個人的な学びを促すのであれば、そこで浮かび上がってくるニーズ(当人が学ぶべきだと自覚する内容)は、教育●●学の範疇に限らない。
教育方法学、教育心理学、教育経営学、教育行政学、それらが一緒になって実習生を支えなければ、個人的な学びのニーズ、かつ、活動の中で湧き上がってくる学びのニーズにはこたえられないということ。

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以上。60頁ぐらいから80頁ぐらいまでを読んで、思ったことなど適当に。

。。。って、20ページぐらいしか読んでへんやんか!!笑
そうです。
その通りです。

ちょっとしか読んでません。笑

でも、結構大事な部分を読んでいるような気もします。

納得する部分、これからもし日本に実践を広めていくうえで越えなければならない課題など、色々感じました。

ではでは。

お、おっそろしいけど、面白そうな研究 ~説得コミュニケーション研究~

学校に関わる判断をする時って、何が正解かは殆ど読めないんですよね。
(正解という言い方も問題あるかもしれませんが)
それは、子どもに関する不確実性がハンパない(表現が雑でスミマセン)事もありますし、
また、どれが正解か、というのは人の信条に依存する部分がかなりあります。

A案とB案のどちらが子供の学びに結びつくか分からない。
A案とB案のどちらが「混乱」を生みにくいか分からない。
A案とB案のどちらが保護者の理解を得やすいか分からない。

それでも、決めなきゃいけないんですよね。
正解が分からないが故に、
過去の正解にこだわり過ぎるきらいもあります。。。
学校が保守的だと指摘される背景には、この要因も一部あるかと思います。

・・・話がそれました。

何が正解か分からない中で判断をする時には、
単純な論理以外の部分の影響がかなりあります。

・誰がそれを言っているのか(印象マネジメントの部分もあります)
・どんな手続きでその案が出されているのか(根回しなども大事です)

などなど。。。
このへんの物事のすすめかたを評して、「うまいやりかた」「うまくないやりかた」などと言ったりします。

学校運営の中で物事を決めていける人は、この辺の扱いが実は非常に上手な気がします。
そういう人が管理職になってくれると、学校がスムーズにまわるんですが、
結構、そうでもない場合が多いようです。。。(含:愚痴)

さてさて、その辺の「回し方」に関わる部分で、
興味深い研究がありました。

説得コミュニケーション研究です。

要は、「説得」についての研究です。

あんまりにも「説得スキル」が高まりすぎると、それはそれで恐ろしい(交渉屋か!)ところはありますが、
でも、どこか、そういう事への客観的な理解も必要なように思います。
正解がないなかで、責任を持って判断し、そこに対するコンセンサスを作っていく力は
どこか必要なように思います。

繰り返しになりますが、校長等にはこういうスキルをある程度もっていてほしいものの、
こんなんが上手くなりすぎてしまったら、各教員の自律的な判断やらはないがしろにされやすくなるわけで
それもどうかとは思います。
でも、一定程度は必要なように思います。

以上、思い付き徒然ノートでした。

参考リンク、貼っておきます。
http://www.oak.dti.ne.jp/~xkana/psycho/social/social_16/
http://psychologybotttt.seesaa.net/article/223409192.html

捨てられる人が拾える人 ~学校における撤退研究~

タイトル、意味ありげに書いてみました。

なんとなく思ったんですが、学校における「戦略的撤退研究」ってありえないでしょうか。
戦略的撤退、というのがひとまとめのセットなので、残しましたが、「戦略的」はなくてもいいです。

要は、学校教育が何かを「やめる」事に関する件きゅです。

何か新しいことやろうとすると、必ず出るのが「多忙」です。
その通り、確かに学校の仕事は相当つらい。忙しい。
新しいことやるとパンクしがち。

だとしたら、何か新しい事をやりたい時には、別の何かをやめなきゃならない。

当たり前のことなんだけど、これが難しいんだ。

学校でやってる事に「意味のない」事は殆どない。
何らかの意味があるからやっている。
やめるという事は、それを捨てるという事。

捨てなきゃいけないんだけど、それがこと子どもに関わると、なかなか決められない。
「●●を楽しみにしている子を見捨てるんですが、どう説明すればいいんですか」と。
言ってる事に全く間違いはない。

大人なら、「リソースには限界があり、こちらを優先するから、あちらはあきらめる」と言えばおしまい。
でも、子どもが関わると、そう簡単にはいかない。

新しいことやるには、これを乗り越えないといけない。

それには覚悟がいる。
確かに覚悟が要る。
覚悟だけじゃなくて、上手な持って行き方もある。
「俺が校長だから」で全て押し通したら、炎上炎上ボーボーボーでしょう。

そんなわけで、上手に何かを「辞める」ことの研究。学校経営研究。

いつか、やってみたい。