非公式リーダーと公式リーダーの関係に関する日米の差異 ~分散型リーダーシップの論文を読んで~

昨日は中原ゼミでした。
英語文献発表は吉村さんが担当で、Leithwood and Mascall(2007)
両者トロント大の方で、Leithwoodは分散型リーダーシップのキーパーソンですな。
(ますますトロントいきたくなった)

内容のポイントは、中原先生のFB(https://www.facebook.com/jun.nakaharajp/posts/10204168184057623)にある通り、

分散型リーダーシップといっても、何でもかんでも「分散」すればいいわけではない。
「何」が分散されるべきか、という視点が最も大切。
リーダーシップ機能の中には「ビジョン決定」や「組織づくり」など、決して「分散」してはいけないものもある。

という事。

で、考えたのはこの辺の本筋とは離れたとこなんだけど。。。

この論文には「公式リーダー」と「非公式リーダー」という概念?が出てくる。
非公式リーダーというのは、「公式ではないリーダー」という事(そのまんまやないか!でもそーゆーこと。何かしら定義があった気がする。)。
分散型リーダーの論文ですから、基本的には非公式リーダーがいることは前向きに捉えられているわけです。

で、こういう論文読むと、いつも「日本の学校だとどうだろ」と考えてしまう。

で、思いあたったのが異動。

はい、私、異動研究者ですから。

日本の場合、校長も異動するのよね、結構早いスピードで。教員よりはやいスピードで。
欧米の場合、理事長なりトップは基本的変わらないというか、少なくとも長期政権なんじゃないだろうか(知らんけど)。
人事権も日本の校長よりでかいはず(知らんけど)。
つまり、確固たる公式リーダーがいて、そこに非公式リーダーが生まれるという話だと思う。

日本でも、同様に、まずリーダーがいて非公式リーダーが生まれるというパターンもあるんだと思う。
でも、異動を考えると色々なパターンがありえそう。例えば、非公式リーダーが生まれたあと、リーダーが異動しちゃうとか。で、非公式リーダーがいるところに公式リーダーが後から入ってくるとか。

非公式リーダーが全体のバランス感のある方なら、新たなリーダーのビジョンを尊重したり出来るだろう。
自分を消すことはなくても、うまくバランスとったり出来るだろう。
リーダーが力のある方なら、非公式リーダーをひきたてつつ上手くやるかもしれない。
そしてその場合には、予期実践やよき文化の継承もされるかもしれない。
新たな校長の考えとあいまって、新たな化学反応が生まれるかもしれない。

前向きだ。

でも、両者がその辺うまくやれるとは限らない。
下手すると、非公式リーダーは対抗勢力の頭になっちゃうかもしれない。
っていうか、そういう事よくありそう。
3年前ぐらいに校長先生にインタビューして回ってた時、古参のベテラン教員を煙たがっている人もいたのを思い出す。
少なくとも、自分よりずっと前からいるベテラン教員の扱いが「難しい」のは確かなんだろな。

そう考えると、日本の学校の場合、この論文の肝の部分で言ってたような「分散しちゃいけないものまで分散しちゃう」つまり、「公式リーダーがやるべきことまで非公式リーダーがもってっちゃう」事も起こりやすいのかもしれない。

「ここの学校では昔からこうですよ」とか言っちゃってね。

「異動」という日本の学校に特有のシステムを考えると、日本の場合は比較的「分散型リーダーシップのリスク」が髙く、欧米の学校のように「分散型リーダーシップマンセー」とは言い切れない、と。

そんなことを思いましたとさ。

ではではー。

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