月別アーカイブ: 11月 2014

2つの「論文指導ゼミ」

私は、2つの研究室の論文指導ゼミに参加しています。
片方が本来所属の研究室で、もう一方は共同研究のご縁で参加させていただいています。

最近、その2つの差異に関心を持っています。
というのも、同じ「論文指導ゼミ」でも、やりかた、考え方が全然違うなぁと感じるからです。

それは、おそらく、投稿する論文誌の状況や、中心とする分野の常識、それから、
研究科の博論審査の在り方の差異などに起因するものだと思います。

どちらがいい、どちらが悪いという事ではなく、
むしろ、2つの違うものに参加している事で、それぞれ相対化できる事は有益だなと思います。
比較する事でしか気付けなかった事もあるだろうなと思います。

例えば、片方の研究室で論文を書くときには、その論文をやる事が研究者としてのキャリアに
どのように関わるかをかなり意識します。
つまり、その研究をして、食っていけるか、という話です。

もう一方の研究室は、あまりその点は気にしません。いや、もちろん、
当人の中でそういった事を意識する事はあるとしても、それ自体が論文指導ゼミの
議論の内容に乗っかってくるという事はあまり考えられません。

多分、どちらかのみに所属していれば、そのやり方が「あたりまえ」になっていただろうと思います。
 「なに、就職とか考えてんの、研究ってそんなもんじゃないでしょ?」
 「そんなんやって食っていけんの?そんなリスク取ってまでやる意味あるの?」
極端ですが、そういった考えに陥っていた可能性はあります。

その意味で、自分の考え方の幅が広がった事は間違いないと思います。

もちろん、考え方の違いに悩むことも度々あります。
こちらの研究室で良しとされる事が、他方ではNGだったりする。
それが研究の根幹に関わる部分だったりすると、すごく、悩ましかったりするw

でも、それでも、2つのゼミに参加できて良かったなと(終わったわけではないですが)
思います。

最近、そんなことを感じています。

(以上)

創造性と再現性

学びの評価。二つの形式。

知識を暗記し、それをテストの場で再現するのが、再現性の評価。
創造ってのは、何か新しいものを作り出すこと。新しいものを作り出せたら評価される。

昔は前者、今は後者、って言われるね。
学校は前者、社会は後者、って言われる事もあるかもね。
演繹的な学びと帰納的な学びという見方も近いかもね。

後者が評価されがちだけど、でも、二項対立の罠にはまってるパターンも多いと思う。

創造するには、足場となる知識が必要なわけで、その足場を強固に出来るのは、再現性なわけで。
再現性「だけ」が、「いつまでも」評価される世の中はまずいけれど、
再現性をゼロ価値のように言い放つのは、どうなんかなと思う。
足場を固める時期も、やっぱり必要。

再現性を評価される事に慣れ切っちゃうと、
創造性の海に飛び込む勇気が湧かなくなるのも分かるから(←これで伸び悩む人、たくさん見た)
並行ですすめていきましょうってのは分かるけどね。

ゼロから創造性の学びにいくのは、ちょとキツイ。

先行研究を読むのは何のため? ~ブルーオーシャンを探す…だけ!?~

さて、今年はTAをやっています。
教育行政調査演習という授業で、学部生たちがグループになってフィールド調査を行い、報告書をまとめるというものです。

で、今、この研究の枠組み設定の支援をしているんですが、伝えなきゃいけないなと感じる場面が意外と多いのは「先行研究を読む意味」です。

読み方、整理の仕方、まとめ方については、諸先生方、諸先輩方から色々とブログありますので
こちらを参考にしてください。

〇僕が中原研で学んだ「先行研究の読み込み」に必要な3つのポイント by舘野さん
http://www.tate-lab.net/mt/2010/04/post-176.html

〇先行研究をまとめる5つのプロセス、陥りやすい3つの罠 by中原先生
http://www.nakahara-lab.net/2011/10/post_1803.html

で、今日僕が書こうと思うのは、そもそも何故先行研究読むのかってこと。
それなりに研究をしている人にとっては当たり前になりすぎて、意外と整理されていないこと。

これを書いてみようと思います。
(自分の整理のために。)

というのも、先行研究を読む意味を 「誰かにやられちゃってないかチェック」のためだけと理解している人が多いように感じます。。。
もちろん、それはとても大事な意味なんだけど、それだけじゃないと僕は思います。

大事なのは、次の三つ。

①誰かにやられちゃってないかチェック
②方法論の参考にするため
③これまで分かってることとの「違い」を意味づけるため

一つ目はさっきも言った通りです。
自分の問い、仮説がすでに誰かによって検証されていないかを確認するため。
いわゆるブルーオーシャンを探すため。

これは基本です。

でも、これだけだと、十分ではない。

この点だけを根拠にして、 「やってないからやります」 を自分のオリジナリティとしてアピールする研究はそこそこある。
だけど、それだけじゃあ研究の生まれる余地は無限に広がってしまう。
この世の中の全てを研究する事は当然できないからだ。

というわけで、「やられてない」に加えてもう一つ必要。
それが何かというと、「その研究が優先される意味」のようなものを探求し、示す事。
ブルーオーシャンの比喩で言えば、そのブルーオーシャンに帆を広げて出航しても、そこに「お宝」がなければ、ただの航海になってしまう。

他にもよく、先行研究を読む目的について、「穴を探す」という表現が用いられたりする。
先行研究をいくつかの次元に整理した時、分析されてない「穴」はどこなのか、ということ
しかし、その穴が、掘っても意味ない穴だったらどうすんの?って事まで考えないとならない。
その穴にどんなお宝があるんか、想像しないとね、ってこと。

で、論文に書く場合には、そこにお宝がある事を示さないといけないのよね。
そのために、先行研究を読む。
先行研究で言われている知見に、意味ある1頁を書き加える必要がある。
そのためには、先行研究の「流れ」を読む必要がある。

先行研究はそれぞれ別個に存在するが、必ず歴史を持っている。
「最初Aが注目されていたけれど、次は、社会状況の変化からA+が注目されるようになった。
でも、××によって、その流れを否定されるような知見が示されて、Bも大事じゃないかという話になり、今は宙ぶらりんの状態」
といったような流れだ。

で、その流れを読んだとしたら、次のような可能性が考えられるだろう

「A+とBを両方調査して、どんな場合にAがあてはまり、どんな場合にBがあてはまるか考えよう」

そんな感じ。
そういうストーリーを紡ぐ必要がある。
自分がやろうとしている事がこれまでの流れから言って、意味ある調査になりうるかどうか。

これを言語化するのは、センスが必要な気がする。
これこそ、研究の上手い下手が出る部分かも知れない。

と、ちょっと話がそれましたが、「これまでの研究のストーリー」を紡ぎ、そのストーリーの最後の登場人物として自分が出てくるような流れを
示す必要がある。
何度も言ってきたけど、この流れを語るには先行研究にあたるしかない。

そんな視点で先行研究を見る必要がある。

で、最後。

研究方法論の参考。
どんなに問いが正しくても、それを調べる方法論が間違ってたら、それは認められない。
何を対象に、どんな分析概念、分析手法を用いるか、その組み合わせが方法論である。
その「正しさ」を簡単に補償する方法は、「過去にもコレやって認められてきた」から。
過去に行われてきた研究の目的や状況をふまえれば、自分がやりたい事にピッタリなそれも
導き出せる。

そのために先行研究を読む。

というわけで、三つの理由を示しました。
これは、ほぼ、自分のための整理かも知れません。
一度、自分の中で考えている事を文字化したかったのです。

そんなわけで、他の方から見たら、「ちがうわボケ」的な突っ込みもあり得るかと思いますが、
ひとまずこのように示しておきたいと思います。

でーわー。

SoTL-LAB.net を作りました

ウェブサイトを作りました。

教師の学びを科学する“SoTL-LAB”

http://sotl-lab.net/

コルトハーヘンさんワークショップ一日目終了

昨日書いたものが崩壊してたので、少しなおします。

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今日はコルトハーヘン先生のリフレクションワークショップの一日目でした。
自分はスタッフとして参加したので、内容の全てを追ったわけじゃないですが、
感想を。

まず、緑の本に書かれた内容については、かなり理解がすすんだように思います。

・共感のための焦点のエレベーター?の話
・アラクトモデルの話(1:1)
・5ステップモデル(集団での取組)

などなど。

あとは、聞きながら色々と感じた事。

・リフレクションってのは、相手と自分を理解したいって気持ちが、原点
・素朴な問いを重ねるってのは、「自分で本質を理解してもらいたい」って事の表れ
・本質をビシッと突くことが好きな人は、なかなかその素朴な積み重ねをやり続けたり、相手が本質に気づいてくれるまで待つってことが苦手笑。
・どこまで深く掘るかって事はかなり難しい判断。
・アラクトモデルの中で、2→4に飛ぶことが多い、という話も印象に残った。PDCAとか経験学習とは、3の深さが違うのかも。もちろん、Cも「本質理解」という側面は含むだろうけど、アラクトモデルほど深く時間かけてはやらないかも。

といったあたり。
また明日も頑張ります。

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※あまりにも崩壊しているんで、↓残しときます
「そんな感じで、しばらく商売あがったりかもね。」っていうのはなんだろw
全然覚えてない。

今日はコルトハーヘン先生のリフレクションワークショップ一日目でした。

もちろん、諸々の理論や手法の理解が進んだことは言うまでもない。

その他のぃdじについて。ツイッターから羅列。

リフレクションってのは、相手と自分を理解したいって気持ちが、原点になるような気がしました。

も一つ。素朴な問いを重ねるってのは、「自分で本質を理解してもらいたい」って事の表れだと感じた。

・本質をビシッと突くことが好きな人は、なかなかその素朴な積み重ねをやりきったり、相手が本質に気づいてくれるまで待てないかも笑。

昨日のRTにもあったけど、アラクトモデルの中で、2→4に飛ぶことが多い、という話も印象に残った。PDCAとか経験学習とは、3の深さが違うのかも。もちろん、Cも「本質理解」という側面は含むだろうけど、アラクトモデルほど深く時間かけてはやらないかも。

そんな感じで、しばらく商売あがったりかもね。