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2015年3月31日

3月31日には、毎年神奈川新聞を買い、市の教員の異動情報を見る事が恒例になっています。
人事異動を研究しているという事もありつつ、一方で、かつての先輩方らの動向も気になっています。
今年は、尊敬する先生が校長になられていて、近いうちにお祝いをしたいなと奥さんと話をしました。

今日で、教員を退職し、研究の世界に入ってから5年間が経ちました。

この間、たくさんの研究と出会ってきたけれど、研究の事が分かったとは思えません。
研究の「け」の字ぐらいは分かったような気になって、でも、さっぱり分からなくなり、時には、「あー、こういうことかも」って思った時もありましたが、その次の日には霧の中に逆戻り。そんな日々でした。

でも、最近、自分が書けるかどうかは別として、自分の「好きな研究」は少しずつ分かってきたような気がします。

この五年間、たくさんの先輩後輩や研究者の方とも会ってきました。
キレッキレの頭で尖ったナイフのような質問をしてくる先輩や後輩に会って、劣等感を感じた時期もありました。
でも、周りの研究者と共同する事の楽しさを教えてくれた先輩、一方で、研究者とは侍であるというメタファーを教えてくれた先輩、いつも、子どもたちが楽しく学び、教職員が生き生きと働ける学校づくりに貢献したいというまっすぐな想い持つ事の大切さを教えてくれる先生、研究を使って世の中にどう関わるか、という生き方を示して下さる先生、そういう先輩方先生方との出会いで、「研究者って色々な形があっていいんだなぁ」という、今となっては当たり前の事を感じる事が出来るようになりました。

もちろん、今の自分は研究者として未熟すぎるけれども、最近は、自分の「ボンヤリとした関心」に向き合う事の楽しさも感じられるようになってきた気がします。

そんな時間を過ごしてきましたが、この5年間は「スネをかじる」5年間でもありました。
支えてくれた両親や妻には感謝してもしきれません。
自分としてもそろそろまた働きたいなぁと考えるようになりました。
ここのところ、教採対策の講座を持つようになって、直接的にせよ、間接的にせよ、教員養成に関わりたいなぁという想いが強くなってきた事も背景にあるように思います。
研究者としても新たな立場から物事を見てみたい、という気持ちが強まってきました。

そんなわけで、今年度から、青山学院大学で助手として働かせていただくことになりました。

新生活が始まるな、という意味で楽しみな気持ちはありつつ、最初の就職のようにフワフワとした感じはありません。
年度末までに終えなきゃいけない事が終わってなさすぎて(ハッ1時間も過ぎてしまった!)、一区切りついた感じがしないせいもあるかもしれません。

でも、とにかく、明日には顔合わせがあって、新たな生活が始まります。
研究者としても、実践者としても、このご縁を大切にしながら、一歩一歩力をつけていきたいなと考えています。

これまでご指導いただいた先生方先輩方後輩方には、今後ともご指導いただけたら幸いです。
よろしくお願いします。

東大シンポ「アクティブラーニングの可能性とその条件―探究的学習の視点から―」に行きました②:アクティブの2つの意味の整理

前回のブログ の続き。
東大シンポに行って感じたことの続き。

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2、市川先生②

前回のブログで取り上げた話に続く形で、このような話題が提起された。

——–(引用)——–
どちらがよりactiveなのか
 一見、積極的に発言し、よく動く生徒
 懸命に教師の講義を聴き、理解し考えようとする生徒
外的なactive、内的なactive
————————

単に見た目だけの動的な活動をしてもダメなんじゃないか、という問題提起である。

<感じたこと>

これは、外的なactiveと内的なactiveの比較である。
確かにそう。

ただ、そもそも、アクティブラーニングとはどういうものをさしているのかの整理が必要かもしれない。
ここまで出てきたactiveには二つの意味がある、と感じた。
 ●能動的・受動的、という意味での能動的=active。
 ●動的・静的という意味での動的=active。
この二つの軸で整理すると、

スクリーンショット 2015-03-26 12.03.57

という感じ。

得てして想定しがちなのは、②と③。
③:昔からのスタイルである机に座って受動的な学習。
②:アクティブラーニングとして想像されやすい、なんか活動しながら能動的に考えるような形。

だけど、①も④もある。
①:なんだかやたら活動してるけど、何も考えてない。実は、言われた通りに動かされているだけ。市川先生が危惧する話。政策化によって最も陥りそうな形でもある。
④:机に座って静的に学んでいるんだけれども、非常に能動的に考えて学んでいる。

本来、アクティブラーニングのアクティブは能動的という話。
つまり、②④含むものだけれど、
②だけだと想像されやすい。
別の言い方をすれば、「動的」という意味と混同されやすい。
結果、②ばかりが注目を浴びやすくなる。

で、気をつけなければならないのは、③から②を形だけ、短絡的に目指して、①に陥ってしまうということ。
前回のブログで言った政策化の話もふまえると、よけいに危ない。

同時に注意しないといけないのは、④に目がいかなくなる可能性があるということ。
最終的に子どもの学びにつながればいいのだから、②も④ももちろん大事で、
どちらかが無くなったらダメとかそういうことではないんだけれど、
④を軽視するような形に誤解されたら勿体ないかなと思う。

特に、④の出来る先生が、「活動的な場面が無い」というだけで批判されるような状況に
なったら嫌だなと思う。
それは手段と目的の履き違え。

その辺は注視していきたい。

昔、④(つまり、机に座ってじっくり考えること)は「勉強が出来る子だから出来る」と思われていた。
アクティブラーニングが行われる流れにおいても、大学の大衆化で知的な能力の高くない子が
増えたために、④が達成されにくく、③に陥りがちだから②を目指す、という話でもあるように思う。

でも、これまで見てきた「力ある教員」は、どんな能力の子であっても、
その子に適した問い、考えたくなるような問いを与え、
④に導いていたように思う。

もちろん、②を否定するつもりはない。
自分自身アクティブラーニングするしね。
でも、④を目指すことをあきらめたりやめる必要も無い。

しつこいけれど、「活動的な場面がない」というだけで批判されるような流れには
なってほしくない。

「活動的な場面がなく、能動的に学んでもない③」ならば、それは個人的には
良い授業だとは思わないし、そういう状態であれば、【まず試みるべき】は、
「活動的な場面を入れてみよう」ということだし、それさえせずに③に
安住しているような教員が増えたら、やはりまずいよね。

今後の肝は、③をしていた教員が上記のように思ったとして、
①にいくのか、②にいくのか、ということ。
いったん①に行ったとしても、そこで満足せずに②を目指せるか、ということ。

その辺は、教育工学なり、教育方法学なり、の出番なんでしょう。
いかにしてアクティブラーニングを実質化するか。

今、その辺の流れがぐわーっと来てる。

東京大学大学発教育支援コンソーシアム推進機構シンポジウム
実践者が語るアクティブ・ラーニングの可能性

【プレスリリース・拡散お願いします!】東京大学、「高校におけるアクティブラーニング型授業」を推進するための高大連携プロジェクトを開始

といったものは、こういう「実質化」に貢献することを目指した取組みだと思う。
あるいは、こんなのもある。

そしてそして。

後で述べるけれども、それは、実は、政策化して公教育におろす場合、
そういった分野(工学方法学)にとどまる話ではないということを
シンポの村上先生の話で感じた。
教育経営も教育行政も。

ということで、その辺はまた今度。

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以上、第二弾終了。
いずれ(いつか)第三弾へ。

東大シンポ「アクティブラーニングの可能性とその条件―探究的学習の視点から―」に行きました①:習得とのバランス、政策としてのアクティブラーニング

今日は、お昼から東大付属に行き、標題のシンポジウムに参加してきました。
実は、東大の院に入ってから初めての東大付属。
ビデオで付属の授業を見るような事はありましたが、あまり関わりを持って来なかったというのが正直なところです。

さて、標題のシンポは、東大の教育が話題のアクティブラーニングについて語るという事で、それなりに注目が高かったように思います。
実際、結構な人数の人が来ていました。

さて、内容について。
今回は、大学でどうやっていくか、という話ではなく、付属のように中学校や高等学校などでどうやっていくか、という話でした。

私が思った感想のポイントは二つ。

①アクティブラーニングは、これまで(大学ではやってなかったかもしれないけれど)小中高ではやってきたような、探求的な学習や、地域とともに行うPBL的なものなど、そういうものを含めた「能動的な学習」ということ。
ということは、それまでやってきたようなものの課題も同時に引き受ける事になる、ということ。

②大学が、大学改革の流れで行ってきたアクティブラーニングと、公教育に政策として入れていくアクティブラーニングとは、当然ながら、異なる意味合いや影響を持つということ。

以下、イベントの流れに沿ってレポートを。

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1、市川先生

<ざっくり言うと>

探求的な学習はアクティブラーニングに含まれるというか、かなり重なるのではないか。
(※探求的な学習については、市川先生のブログに詳しい)
探求的な学習は、これまで、習得的サイクル(積み上げっぽいもの)と、探求的サイクル(表現・共有・触発・追求など)とのバランスとリンクが重要と言われてきた。
とすると、アクティブラーニングにおいても、習得的な、系統的な、教授的な部分とどうバランスをとればいいか、が今後の課題になるのではないか。

<当日資料から>
DSC_2373

<僕の感想>

これはまさにその通りだと思った。

そして、自分としては、この先が「政策としてのアクティブラーニング」につながる気がする。
政策として公教育におろすということは、各学校が「やれ」と求められるということである。
そうなると、「やってますよー」が外(主に行政)に対して分かりやすく伝えられる方に流れてしまうのではないか。

つまり、習得的なこととのバランスや、それをリンクさせるためのタイミングなどは軽視されてしまって、多くの学校では「形だけのアクティブラーニング」が増えるのではないだろうか。
大学や私学のように、就職や進学などの結果につながる形で、つまり、学びにつながる形でアクティブラーニングが行われるのではなく、「行政に対して回答出来る形」が優先されてしまうのではないだろうか。

これが政策として公教育においてアクティブラーニングを行うことの難しさの一つだと思う。

という意味でいうと、やっぱり政策にしたのはどうなんだろう、という気もする。

公教育ではすでに各教員や学校の努力で能動的な学びがジワジワと横に広がっていたんだけれど、それを政策として取り込んで、上からズドンでやるっていうのは良かったのか悪かったのか。
政策にしたことで、形骸化がすすむんじゃないだろか・・・
時間はかかっても、実質的なものの広がりを待っても良かったんではないか・・・

という気もする。

九州の某市での取材の時も同じようなことを感じた。
一部の学校が自主的にやってたグッドプラクティスを、行政がピックアップして政策として全体にズドン。
その後、もともとやってた学校以外では形骸化して、最終的にそれらの学校では行われなくなったという話だった。
そうならないといいな。

と言っても、時間は戻らないしね。
今後は、じゃーどうやって実質的にするのか、を考えた方が前向き。
市川先生は、そういった視点から松下先生のディープアクティブラーニングをすすめてらっしゃった。

Amazon.co.jp : ディープ・アクティブラーニング-京都大学高等教育研究開発推進センター

これ、頂いてから、積読になってしまっている・・・
読まねば・・・
そして、我々のプロジェクトもそういう意味で一定の貢献ができるんじゃないか。
がんばろ。

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というわけで、ひとまずここまでで終了、続きはまた書きまーす。

嬉しい嬉しい。

昨日会った学生が、自分が前に書いた教員養成セミナー2月号3月号を「読んでる」と言っていた。

嬉しかった。

・・・小学生の作文みたいなブログですが、素直な気持ちを表現してみました。

政治に絡むネタは御法度!?

。。。なのかもしれませんね。

そんなタイトルをつけつつ、政治ネタを出す事の是非を考えたい訳じゃありません。
今日の昼、サイニーをぶらついてて、面白そうな記事を発見しました。

河見誠(2007)戦争賛否論における対話可能性
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006596241

”「戦争に賛成か反対か」と単純に問われた場合にはほとんどの人は「反対」と応えるであろう。ただし、「絶対的に」反対かと問われたときには「躊躇」を覚えるであろう”

最終的に、「絶対的に反対する/部分的に(場合によっては)賛成する」としても、
その躊躇までは共有できるんだから、躊躇を軸にすれば少しはお互い対話できんじゃないの、
という話だと思う。
(まだ冒頭しか読んでない)
後でつづき読んでみよ。

対話可能性を考えてみるのって面白いかもしれないなー。