学校で部活動をやるべきか。そして、べき論を踏まえつつ、どうするのか。

(この記事は、過去記事から一部複製して編成しています)

ここんとこ部活関連の話題も多い。
この記事(http://www.asahi.com/articles/ASH324T4JH32PTIL01H.html)が注目されたからであろう。
亡くなられた先生のご冥福を祈りつつ、このような事が起きるような状況は良くないなと思います。

他にも、このブログ(http://bukatsu1234.blog.jp)は有名。
これに関わってこんな記事(http://www.bengo4.com/topics/1327/)もありました。

部活動については、
長野県が朝練廃止(http://www.sankei.com/life/news/131114/lif1311140016-n1.html)にしたり
佐賀市がノー部活デーの設定(http://www.asahi.com/articles/SEB201310180065.html)したりなど、
ここのトコ、いろいろな動きがあります。

廃止論、あるいは、地域に任せろ論がだいぶ強まっている印象です。
僕自身も今のままじゃたくさんの教員が壊れていってしまう、と思います。
悲劇は繰り返してはいけないし、なんとかしないとまずいですよね。

ほんとに。

ただ、僕自身は、部活は学校でやるべきだと思っている人間です。

教員時代は野球部の顧問をしていました。
残業はちゃんと考えた事ないけれど、おそらく、100こえるぐらいはあったと思います。
ただ、自分もやったんだからやれとか、そういう気持ちではないです。
自分自身は、スポーツ好きだけれど、脳みそ筋肉的人間ではないです。。。

だけど、やはり、部活は学校でやるべきだと思います。

つまり、どうにかしなきゃと思うけど、「大変だからやめろ」は短絡的だな、という感じ。
ひとまず、二点ほど、最近の部活論に対して思う事があります。

①今の廃止論が、部活の意義を
「一部の教員がやりたいと思っているから」ぐらいにしか思っていないのが
どうも納得できない、、、
もう一つは、
②やめるとか地域に任せる前に、出来る事あるはずでしょ。
ということ。

①については、過去記事の引用から。

ーーーーーー引用ーーーーーーー

●「教員は授業だけやってればいい。その他の事(部活とか生徒指導とか)は他に任すべき。」
これは登壇者の発言ではないが、ツイッターの中でこういう発言をする方がいた。
これは先日の「中学校教員辞めます」ブログとも関わる。

この意見には全く賛成できない。

今日の発言の中にもあったけど、学問的な内容にせよ、生徒指導的な内容にせよ、「誰が」それを言ったのか、という点は教育においてかなり重要。
同じ事であっても、Aという教員が言うのとBという教員が言うのでは全く意味合いが違う。

そして、その「誰」のイメージを形作る事は授業の中だけではなかなか出来ない。
むしろ、生活の中で、例えば給食の時間に、例えば、いじめが起きた時の対応の中で、あるいは、部活動の中で、そういう授業以外の時間での場合が多い。

「この人の話なら聞こう」と思えるような信頼関係が、授業の中だけで作れるとは到底思えない。

一緒に汗水たらした人が言う「ここ大事だよ」と、授業だけしてる人の「ここ大事だよ」は、全く意味が違う。
万引きについて一緒に謝ってくれた人が言う「これ一緒に考えてみようよ」と、授業だけしてる人の「これ一緒に考えてみようよ」は全然違うのだ。

授業は大事だし、その中で信頼関係作る事も大事だけれどね。
その中の関係だけで伝わる子もいるけどね。
だけど、そうでない子も相手するのが公教育。

例えば思春期まっただなか、廚二病バリバリ、大人なんて大っ嫌いの子から信頼を得るのに、
授業の中だけで出来ると思えます?
僕は到底思えない。

故に、授業だけやっていて、良い授業をする事は出来ない。

もちろんスリム化は進めるべきだけど、それは「授業だけやる」方向にいっちゃダメだと僕は思う。
一クラスの人数減らすとか、色んなものをシステマティックにやるとか、あるいは、削減できるどうでもいい業務って他にもいっぱいあるし、そういう方向でいくべきだと思う。

授業のプロであるためには、授業以外の時間の過ごし方が大事だという事。

ーーーーーーーー引用終ーーーーーーーーーー

子どもと晴の部分(部活)を共有しているから、陰の部分(受験・生徒指導)も共に歩めるという事。

これは忘れちゃいけないんじゃないかなと思う。

もちろん、本当に部活が晴れの舞台になっているのか、っていう事を問うのも大事だし、あるいは、
陰の部分をそれ自体でもっと前向きに行うようにするのも大事なんだけれど、それはそれとして。

あんまり言い過ぎたら難だけれど、「部活やめろ」って言ってる人たちは、
生徒指導の重要な部分とか、子どもの学校に対する気持ちとか、そういう部分で
本当に部活の力(顧問の力、ではない)に頼ったこと無いんかな、て思ってしまう。
(これは言い過ぎかも)

生徒指導が成立しない学校になってもっとも被害を被るのは子どもだし、
つらい部分を子どもが乗り越えるために、ともに歩む大人って必要なんではないかなと
思ってしまう。(この辺が学校の教員を信用し過ぎなのかも)
部活を廃止したり、生徒指導や進路指導をする人と部活をする人を切り離してしまった時に
そういう大人になり得る人って出てくるかな・・・

その辺が不安。
ま、受験とか生徒指導案件がそもそもなけりゃーいいんだけど、
今の日本でそれをのぞめるんだろか。

とにかく、学校教育にとって重要な意義を持っている事は、まずふまえないと。
「好きな人がやりたくてやってる」という捉えは違うんじゃないか、と思う。
もっと大きな意味がある。

②について

↑のような話を踏まえるとしても、「べき論」で片付く話ではない。
それでは、「学校教育にとって重要な意義があるから、教員は犠牲になれ」という事になってしまう。
僕が言いたいのはそうではない。

ただ、「問題あるからなくせ」っていうのも、逆に、そうとう短絡的だし極端だなと思う。

もちろん、一番いいのは、きちんと制度的に保障される事。
対価もちゃんと払われてね。
サポートする人材もちゃんと得られて、
trainされたりね。それが最高。
しかし、それは、教員にはどうも出来ない。

じゃーやっぱり何も出来ないから、大変だから辞めるべきか。
僕はそうも思わない。

部活の問題は「学校の中でのやり方」で、かなり対応できる。
部活の問題の中心は、一部に過度の負担がかかる事だと思うんだけれど、
それを分散させる事は考えたんだろうか。
たいていは、「考えたんだけど無理だと思って何もしてない」じゃなかろうか。

少なくとも「土日の両方でなきゃいけない」は、なんとか出来る。
「保護者に求められる」けど、それはなんとかなる。
大事なのは、「土日片方しかやりません」を言うタイミングと言い方。
とにかく、部活選択の説明時にこれを言う事。
それから、前の顧問が土日両方やっている人だったら、
その顧問時に入部した子がいる間はそれやってあげるべきだと思うけれど、
自分がメインになってから入ろうとする子とその親には
「息子さんたちががトップの学年になる時には土日の片方は休みにする、
それでもいい人は入って」とちゃんと言う。とにかく入る前に言う。
口頭でいうわけでなく、文字にしておく。

これをうまくやれば、土日片方は休みに出来る。

もちろん、こういう事を言い出すのが大変な事は分かるし、
タイミングも言い方も難しい。
でも、少なくとも、自分がそういう事をすすめる勇気が出せなかったりすることを棚に上げて
「大変、だから辞めろ」は、単純すぎるよなと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

という感じでうだうだ書いてきました。
どうにかしなきゃいけないと思うけれど、廃止論や地域任せろ論は短絡的だよな。
そんな感じ。

しかし、スウェーデンまで来てなにやってんだ。

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