TeachingとLearning スウェーデン行って考えた事の一つ②

スウェーデン行ってからいろいろと考えた事の一つが、TeachingとLearningの関係。

教授と学習、、、でしょうか。分からんけど。
この2つの関係については、次のように考えるパターンが多いんじゃないでしょうか。

一つは、TeachingとLearningを一体的に捉える場合。
Learningがある所には、Teachingがあり、Teachingが無いところには、Learningがない。

例えば、教室から出てっちゃった子を想像して下さいな。
そういう子って、学習出来てると思います?
出来てないですよね。
それって、「Teachingが無いところには、Learningがない。」の思考。

でも、一方で、スウェーデンでは、どうだったか。

IMG_20150304_204137

これ、授業中の風景です。
教室から出ていっても、学んでいる。
Teachingが無いところでLearningが起きている。

このような事例を重視する立場のなかには、次のように考える人もいると思います。

Teachingするからこそ、Learningしなくなる。
LearningさせるためにはTeachingしないこと。

「縛らない」事で、子どもは「学んで」いく。

「多様な能力の子ども達が集まれば、自然と子ども達は学びだす」とかね。

つまり、Teaching害悪論。

でも、それもやっぱり極端で。上述の廊下で学んでいる少年達だって、考え始める前には、
Teachingされているわけで。

TeachingとLearningを一体として捉えるのも極端だし、
二項対立のように捉えるのも極端だよなってこと。

当たり前だけど、「いいバランスがあって、いい関係があるんでしょう。」

どっちかじゃない。

最近、似たような話(だと僕が勝手に思ってること)を見た。

中原先生のブログ

アクティブラーニングやワークショップは「自由闊達な学びの場」ではない!?

中原先生が言いたい事と僕の言いたい事は若干違うけれど、

「権力性」というものを軸にしてTeachingとLearningのグラデーションを書くことは出きるんじゃないかなと思う。

0か100じゃないんですよ、ということ。

上で挙げた例で言えば、最初の方が100、後の方が0と思いがちだけど、
権力性ゼロはないってこと。

アクティブラーニングとかって、主体的な学びを重視する訳で、つまり、Learning重視な場な
わけです。

しかし、だからと言って、Teachingがないわけじゃない。

権力性も0なわけじゃない。

そんな風に思いましたよ。

・・・最近、アクティブラーニングについて考える機会が多いもので。。。

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