月別アーカイブ: 7月 2015

研修を少しずつ変える : 「人材育成マネジメント研修」を終えて

水曜日は、横浜市研修でした。
「人材育成マネジメント研修」
すこし簡単に言うと、「校内人材育成」を回していくミドルたち(10年次)を対象にした研修。

これまでの取組みについて書いたブログはこちら。

10年次教員研修
10年次研修を終えて。

今回も10年次にあたる400人前後の方を対象に行いました。

午前セッション3時間、休憩1時間半、午後セッション3時間というタフな一日。

基本的な研修の流れは変わってないので、午前中のセッションは昨年より「流暢に」は出来た気がしていました。しかし、その流れへの「慣れ」ゆえか(?)、なんとなく自分の中にも「慣れ」が出来て、参加者や場の空気への「敏感さ」がどこか欠けていたような気もします。
その点が垣間見えたのか、セッションのちょっとした合間にも、先生から「ちょうしくん、楽しちゃだめだよ、楽しちゃ。」という鋭いコメント。
タイムマネジメントもうまくいかず、脇本さんには多大な迷惑をおかけしました。。。(ごめんなさい)

休憩は1時間半あったのですが、その時間はのんびりできるかというと、そうではなく、修正タイム。
先生からの「もっと刺せるよね」「もっと攻めなよ」という温かい叱咤激励とともに、様々なアドヴァイスをいただき、スライドや流れを修正しました。

午後セッション開始ちょっと前に修正完了。
文言をより「学校」っぽく変えたり、少しだけ8つの窓っぽいことを組み入れてみたり、ちょっと変えてみました。
それ自体が劇的な変化を生み出したかというと、まだまだ改善しないと、という感じではありましたが、午後セッションでは、わりと参加者の方々と一緒に、濃い、気付きのある時間を過ごせたような気がしました。

ほんとに、楽しちゃいかんよなー、と感じ入る一日でした。

今後も頑張っていこうと思います。

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しかし、毎年思いますが、指導主事の先生方は、我々のセッションの日を含め、連日研修をまわす日々。
率直に言って、「超激務!!!」だと思います。
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。

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研修の具体的な中身や、研修で使っているデータについては、こちらを参考にしていただければと思います。
(画像がデカいw)

9784762828973
Amazon.co.jp:教師の学びを科学する

参加者のマインドを切り替える : 大学生研究フォーラム2015「リフレクション学」セッションを終えて

昨日は、大学生研究フォーラム2015の前日チュートリアルセッションでした。
http://www.highedu.kyoto-u.ac.jp/apply_form/20150723WorkShop/index.html

私は、東京大学の山辺さんと組んで、「リフレクション学」のWSを行いました。
非常に簡単にいうと、レゴワークで“ひっかかりのある体験”と“成功体験”の語りを引き出し、コルトハーヘンさんの8つの窓やコアリフレクションで深掘りする、といったような流れですすめていきました。
全体的には大きなトラブルもなく、やりたい事をやれたかという意味では、出来たと思います。
ただ、「頭がもげるほど」いや、「脳がちぎれるほど」の場を生み出すまで達したかというと、まだ出来たことはあったように思います。

事後に山辺さんと振り返りトークをしました。
いくつかポイントは出たのですが、そのうちの一つ、印象に残った点を書いておきます。

今回のように「理論と実践」をともに取り扱うセッションでは、その両方を取り扱う事に意味があると思うんですが、そこの「切替」は丁寧にやる必要がある、という事です(考えてみれば当たり前なんですが)。

メタに、というか、一歩引いて現象を捉える「理論」を扱う時と、いま、その場に没入する「ワーク(実践)」をやるときは、マインドが異なります。
特に、今回は「普段からリフレクションを促している」方の参加が多かった(今後もそうかもしれませんが)ため、理論を学んでいる時はファシリテーター側のマインドになるんじゃないかと思います。
一方、ワークの時にはリフレクションする側としてのマインドになって欲しかった。
でも、後者の方が、思ったほどうまくいかなかった。。。もちろん、全然失敗ではなかったんですが、リフレクションする側として「その場」に没入してワークに取り組んでもらえたら、と思っていたんですが、期待したほどにはそうならなかった。
その背景には、「切替」がきちんと出来ていなかったという事がある気がしています。
ファシリテーター側のマインドと、リフレクションする側のマインドとの切替。
「切替」は大事なんだと思います。
コルトハーヘンさん的に言えば、ヘリコプターでしょうか。
「理論やって、ワークやって」ではなく、「理論やって、切替やって、ワークやって」である必要があるのかな。

「実践の場」「理論の場」が別である事もありますが、「実戦系研究者」にとっては、「理論と実践」を求められる事があります。その時には、「切替」が大事。
ま、当たり前と言えば当たり前ですが、そういう事を感じました。

他にも幾つかありましたが、ひとまず今日は、こんな感じで。

ICT活用日記 比較してから…?

どうもです。
ICT利活用日記、としてみました。

本日も模擬授業がありました。
様々に活用していて興味深かったです。

そういう中で結構多いのが、学生のタブレットからなんらかを吸い上げ、
比較するというもの。
例えば、●●のイメージを絵に描いて下さい、とか。
●●への手紙を書いてみましょう、とか。
で、それをパソコン吸い上げるなり、リアルタイムに画面同期するなどして、
電子黒板に写し、比較をする。

ここまでの時点で、それぞれ各学生が表現したりしてるのであって、
それなりに能動的な関わりはしており、意義はあると思う。

ただ一方で、「その後」にどこか物足りなさも感じる。
たいていは、吸い上げて、比較して終了。

もちろん、時間の制約等もあるんだけれど、
「比較してからどうするのか」は、もう少し深みが欲しいなと思った。

こことここが違う。共通。
そこまではいいとして、それがどういう意味を持つのか。
その辺りをみんなで再び考えたりすると、より面白いのかな。。。

模擬授業でそこまで求めるのは酷?と思いつつ
そこまでしないと比較する意味はあまりないよな、とも思う。

いじょいじょ。

日本教育政策学会大会@福島大学

先週末は、福島大学にて日本教育政策学会の大会でした。

私はこの学会の事務局幹事を拝命していますので、
微力ながら裏方として関わらせていただきました。
昨年度から幹事をしているのですが、昨年は東大が会場校で、
むしろ実行委員としての関わりの方が大きかったので、
実質的には大会に幹事として大きく関わるのは
今回からというイメージが強いです。

年会費の受付や、理事会の諸々、そして、総会と、
やることは色々とあって、学会事務局の大変さの一端を
感じる事が出来ました。

これまで何となく学会に関わり、大会にも参加してきたわけですが、
コレだけの事をして支えて下さる方がいたからこそ
成り立ってきたんだなと、改めて感じました。

うん。

年会費ちゃんとはらお。

うん。

住所変更もしとこ。

●さてさて、今回参加して年報をいただいたところ、
私の記事が掲載されてました。
うれしーーー。
投稿論文とかではなく、こういうのなんだ、総説って言うのかな。

政策学会の年報には、「地方自治体の教育政策動向」という形で、
一年間の政策動向をまとめた記事が載ります。
こんな感じ。

http://ci.nii.ac.jp/naid/110009687000
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009843464
スクリーンショット 2015-07-10 13.09.04

今回、この2014バージョンを担当をさせていただいたということです。
投稿論文ではないですが、やはり、学会誌に記事が載るのは嬉しいです。

●あともう一つ、勝野先生の課題研究発表が印象に残りました

「–スタンダード」に着目したものです。(–には学校名や自治体名がはいります)
–スタンダードは、各自治体や各学校で、授業のやり方等に基準を定めるというものです。
その対象は、ノートの取り方や、座り方などにおよびます。
これは、子ども達に向けたものでもあり、同時に、「こういう状態を目指して指導しよう」という意味で
教員に向けられたものでもあるわけです。

勝野先生はこれを否定的に捉えるでもなく、ただ肯定的に捉えるのでもなく、
その意味合いや運用にしっかり目を向けていきたい、というお話をされていました。

———

もし、自治体等によって作ったものが強制的におろされているとすれば、
それは、単なるコントロールになっちゃうかと思います。
一方で、若手教員が増える中で、なんらかの「マニュアル」のようなものが
必要な場面もあるというのは確かなわけで。
ただ、それを守る事に終始し、目の前の子どもに何が必要かを考える事が
できなくなってしまうなら、長期的には成長が頭打ちになってしまうし、
結果的に、子どものためにもならない。

そういう意味では、「スタンダード」が現場の教員達自身の手によって作られ、
かつ、自分たちによって刷新し続けられていくようなものになる事が必要なのかなと
思いました。

その辺、今後の展開に興味津々であります。

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さてさて、今日は、夕方から月末のチュートリアルセッションの打合せであります。
こちらも楽しみ。

デジタル教科書と、教員の「凄さ」

先日、ある授業で電子黒板を使った模擬授業が行われました。
実践後の振り返りにて、電子黒板やデジタル教科書についてどのように感じるか、
といった事についてのラフな議論がありました。

使ってみて改めて、学生達は五五あるいは四六で、懐疑派が多いという感じ
だったと思います。

紙の方が、とか、わざわざ使わなくても、、、といった感想も多かったのですが、
それらとは一線を画して「ハッ」とさせられたのは、次のような意見です。

「私がかつて先生の話を聞きたいと思ったのは、やはり、先生の奥深い知識というか
 こんな話も知っているのか、こんな事にも造詣があるのか、といった、
 知性に対する尊敬っていうものがあったと思います。
 デジタル教科書は、教科書として凄く便利で効果的な部分もあるけれど、
 これを使いこなす先生に対して私がそういう意味での敬意をいだけるかというと
 そうはなれないと思います」

といったような話だったと思います。
一言一句同じではないですが、そんなような感じです。

確かにそうかもな、と思う部分もあります。

もちろん、これとて、基本的には運用の問題な訳で、
授業の全てをデジタル教科書で行う必要はないわけで、
たとえデジタル教科書を使った部分からそういうところが感じられないとしても、
それ以外の部分でいかようにでも感じさせる事が出来るとは思います。

ただ、何となく、その学生の言いたい事は分かるような気がします。

デジタル教科書を使っていると、それをいかに使うかという方向に熟達していって、
そこから距離感をとるという発想には行きづらく、
教科書外の話とどう絡めるか、といったところに意識が行きにくい、
というように思います。

つまり、教科書「で」教えるではなく、教科書「を」教えるになりやすい。

なんとなく。です。

そうすると、話が教科書の内側に終始していれば、おそらく「分かりやすい」授業は
作れても、「面白い」授業は作りにくいような気もします。

なんとなく、です。

結果的には、教員の提供する授業から知的な深みをかんじられず、「凄さ」を感じられない、
という事もあるかもしれません。

なんとなく。です。

そういう意味では、「上手く使う」一辺倒にならず、
「上手く距離感をとる」という事も今後は必要になってくる気がします。

完全に受用、でも、完全に拒否、でもなくね。
自分なりの使い方を身につける、というね。
そういう事が必要なのかも。

そんな感じの午後。ちょいネムい。

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※少し修正しました。
※ICT全般ではなく「デジタル教科書」しかも、電子黒板に入ってるデジタル教科書のイメージなので、悪しからず・・・