デジタル教科書と、教員の「凄さ」

先日、ある授業で電子黒板を使った模擬授業が行われました。
実践後の振り返りにて、電子黒板やデジタル教科書についてどのように感じるか、
といった事についてのラフな議論がありました。

使ってみて改めて、学生達は五五あるいは四六で、懐疑派が多いという感じ
だったと思います。

紙の方が、とか、わざわざ使わなくても、、、といった感想も多かったのですが、
それらとは一線を画して「ハッ」とさせられたのは、次のような意見です。

「私がかつて先生の話を聞きたいと思ったのは、やはり、先生の奥深い知識というか
 こんな話も知っているのか、こんな事にも造詣があるのか、といった、
 知性に対する尊敬っていうものがあったと思います。
 デジタル教科書は、教科書として凄く便利で効果的な部分もあるけれど、
 これを使いこなす先生に対して私がそういう意味での敬意をいだけるかというと
 そうはなれないと思います」

といったような話だったと思います。
一言一句同じではないですが、そんなような感じです。

確かにそうかもな、と思う部分もあります。

もちろん、これとて、基本的には運用の問題な訳で、
授業の全てをデジタル教科書で行う必要はないわけで、
たとえデジタル教科書を使った部分からそういうところが感じられないとしても、
それ以外の部分でいかようにでも感じさせる事が出来るとは思います。

ただ、何となく、その学生の言いたい事は分かるような気がします。

デジタル教科書を使っていると、それをいかに使うかという方向に熟達していって、
そこから距離感をとるという発想には行きづらく、
教科書外の話とどう絡めるか、といったところに意識が行きにくい、
というように思います。

つまり、教科書「で」教えるではなく、教科書「を」教えるになりやすい。

なんとなく。です。

そうすると、話が教科書の内側に終始していれば、おそらく「分かりやすい」授業は
作れても、「面白い」授業は作りにくいような気もします。

なんとなく、です。

結果的には、教員の提供する授業から知的な深みをかんじられず、「凄さ」を感じられない、
という事もあるかもしれません。

なんとなく。です。

そういう意味では、「上手く使う」一辺倒にならず、
「上手く距離感をとる」という事も今後は必要になってくる気がします。

完全に受用、でも、完全に拒否、でもなくね。
自分なりの使い方を身につける、というね。
そういう事が必要なのかも。

そんな感じの午後。ちょいネムい。

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※少し修正しました。
※ICT全般ではなく「デジタル教科書」しかも、電子黒板に入ってるデジタル教科書のイメージなので、悪しからず・・・

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