20160220奈良女子大附属中等教育学校研究会 

表題の研究会に行った。
分科会は「あらたな学びの方法論と関係性 ~クラウドでの遠距離間共同学習でのディープ・アクティブラーニング、演習でのジグソー法×自己評価ルーブリック×twitter、不確かな未来を生きるための why と共創クリエイト~」

とても面白かった。とても。こんなに頭使って考えたのは久しぶりかもな。

とりあえずメモだけ貼り付けておく。
行かなかった人には意味不明で申し訳ないけど、内容までは書けないので、自分のメモだけ。

————–

★二田先生の取り組み自体が面白い。自らエビデンスを取るというところも。
★溝上先生の本が出てくるところも。全体的にも思ったけど、溝上先生なり三宅先生なり、研究者的な部分がたくさん出てきた。アカデミックな知見がこんなに近い位置にあるのは印象的。
★個別介入の方が深い学びなのはなんでだろ。全体への働きかけだと、他の人と同じ働きかけをされているわけだから、他の人との反応の違いとか気にしちゃうのかもなぁ。もしかしたら。
しかし、個別の働きかけの方って、微妙な距離感が面白いよな。自分に書かれているわけじゃないけど、参考になる。という。
→ これはSNSだからこそかも。個別への働きかけが周りにも見える。
★個々のパフォに目を向ける程、関係性への評価が見えづらくなるかもという問い。→確かに可能性あるなぁ。ただでさえ、関係性を評価するのは難しい。
★「他者の目を必要とする」は大事なんだけど、大人にとって必要と、子どもたち当人にとって必要、というのは少し違う。そこをどうデザインするか。

★異年齢を活かす試み
高校生は、中学生の時の自分を思い出す。
自分の軌跡を振り返る。成長している自分。
→ 今後の成長の方向性を考える。
この取り組みいいなぁ。

★深い学びにつながるアウトプット型の取り組み
インプットとアウトプットの違いはよく言及される。特に、アウトプットが足りないという文脈で。
でも、「とりあえず発信しておけば良いアウトプット」と「伝えるためのアウトプット」では全然違うだろうなぁ。
例えば、プレゼンなんかは、とりあえず綺麗に論理的にやっておけばいいのかもつまり前者。伝えるためだと、相手との違いや、どうやって伝えるか、をめっちゃ考える。相手との違いってのは、相手がどうなのかだけでなく、自分がどうなのかも考えないと。ほんで、自分の言動がどう見えるかも考える。考える考える考えるやな。
で、教えるって活動は、これに適してるかも。つまり、【教えることで学ぶ】は、伝わるまでを目的とするわけだから、こういう感じになりやすいんじゃないかな。「わかってもらいたい」というのは、生得的な欲求としてある気がするし。

★異年齢というのは、「教える」という取り組みにスムーズにつながりやすい。人の成長は他者にとって喜び。分かってほしい、は、生来的欲求かも。

★「教え方」や「問い」については、結構デザインが必要かも。つまり、今回は「詩の読み」だけど、例えば、「大化の改新は何年か」という課題だったら、答えを教えるだけになっちゃう。それに、「答えを教える」んじゃなくて「気付かせる」ように仕向ける、というあたりも最初に方向づけが必要かも。

★模擬授業が深い学びにつながらないのは、この辺りかも。目の前にいる相手が大体内容が分かっているから、伝えなきゃ、という気持ちになりづらいし、「気付かせる」という取り組みにもなりづらい。結果、何も考えない。あるいは、自分がどうやって学んだかを伝えるだけ。
やっぱり、「自分の面白いと思っていることを相手にも面白いと気付かせる」みたいな模擬授業のほうがいいんじゃないだろか。

★★SNSを通じた取り組みが優れていると思う点★★

★読解のペース。
文章で書かれているから、議論の流れを自分のペースで理解できる。
←→トークの議論だとついていけない子も出てきちゃうかも。

★発言のペース
発言のタイミングを焦らなくて良いので、みんなで返答を考えられる時間的余裕がある。
←→トークだと、間が取れない。そのうち誰かが答えちゃったりね。

★共同作業的検討
返答が文章なので「形あるものをみんなで一つ作る。」ということができる。
←→トークだと、それぞれ意見言ったけど、最後は誰かの発言に任せるみたいになる。

★教え方をみんなで検討するっていうのは、わかってもらいたい気持ちから、結構一生懸命考える。

★遠隔地である意味
遠隔地あるいは異年齢だろうと、とにかく、直接つながらない集団であることは、この取り組みをする上で大事かも。この取り組みが不自然じゃなくなる?少なくとも友達とかだと、その他の事前情報とかが気になったりするかも。それをふまえてやるのも面白いかもしれないけど。基本は、手探りでやったほうが面白そう。
★社会=学校の学びは大事。加えて、若いうちから社会に出せばいいかというと、そんなに簡単ではない。ある程度条件を整えた形で社会を学ぶ。その条件をどうすればいいか。条件をこねくり回しすぎると、社会から離れていく。
★学校で教える場合、ファシリテーターでは全然足りないと思う、ファシリーダー。
★大学ではデバイス揃わないことある。確かに〜、コー●パ●ーは、スマホでもガラケーでも出来るんだっけ。宿題としてなら、使えるデバイスがあるタイミングでやるんだけど。
例えば前述の取り組みをやろうとして、授業中にSNS上で入力させようとすると、デバイスの問題が生じるのかもな。。。それに、大人数で一気に使ったら落ちるかも?この辺デザインするとき注意。
★「未来の社会の建設に役立っているか?」
この問いはいいなぁ。初等中等、あるいは、公教育?は、その子が新しい世界で生きていけるかって話が大事。発達段階や社会的な役割から言っても、大学では社会側の視点もいるのかも。生存より一歩突っ込んだ、社会の建設。
★活動的な学びだけでなく、座学的な部分もある。ダブスタを前向きに捉えてる。おもろい。矛盾してても、その矛盾を飲み込んでさらに前進む、というような。生きる力かもな。後で出てきた断捨離とかメリハリはこの辺にもつながるのかも。両方やらないかんなら、相当な断捨離必要だろうな。
★最新のツールの紹介
★限られた状況での評価。能力が発揮できていない。能力を発揮したくなるデザイン。
★21世紀型スキルはゴールじゃなく、スタート。これを基にして、それぞれの状況で何をするか。
★自分で考えられる力
→ 考えたくなるデザイン
・問い/環境/考えたことで成長できる、という実感

ここリフレクション絡みそう
★↑のようなことも大事だけど、もっと深い、その人の根底にあるものとの関係とかもありそう

整理したもの(パス付き)

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