月別アーカイブ: 12月 2016

いま出来ていないこと

構造化して書くこと。
論文っぽい言い回しをすること。

兵庫教育大学にて

先週、兵教大にてゲスト講義をしてきた。
川上先生が担当されている授業。
テーマは若手教員の人材育成。

横浜市の事例を紹介するという話。

これまでの多くの話を盛り込む中で、前半が駆け足になりつつ抑揚もない感じになったのが反省。
かつ、やっぱり最後は「(横浜の話を受けた上で)みなさんは何をしますか」というあたりを
考える時間をとればよかった。
くじ引きワーク的なものとかね。

とはいえ、浅野良一先生や上田真弓先生ともお会いできて、
新たなつながりもできた気がする。

余談になるが、僕がラーメン好きであるという情報を受け、受講者の方が美味しいラーメン屋を紹介してくださった。

ありがたかった。

そして、美味しかった。

親が子を想うこと 子が親を想うこと

自分の母はここ数年、病気がちだ。
今年は4回入院した。
入院し退院するたびに、僕は家族を自分の家に残して、実家に来て、母と生活を共にする。
母一人では生活がままならないし、何より心配だからだ。

しかし、一方で、母は僕が実家に来ると張り切ってしまう。
知らない間に肉屋に行って高い肉を買い、僕に振舞ったり、押入れから暖かい布団を出して僕のベットにセッティングしたり。
今も、この時間(午前2:00)に僕や僕の子供への手紙を書いている。

そういうことをしても、僕は全く喜ばないのに。

僕は、むしろ早く寝てくれたり、とにかく体に負担のない生活をして欲しいと思う。
そのことはたびたび伝えている。
それでも、張り切ってしまう。
僕は、この家に来るたびに、そういった行為を止められず、母に自分の気持ちが伝えられない無力感やもどかしさを感じてしまう。

一方、母は、自分がもっと元気で、また、父が生きていたら、二人で僕ら家族の力になれたのに、と思っている。
僕の子供が風邪をひいたりした時なんか、本当はもっと力になりたいのに、それができない、無力感とかもどかしさを感じているようだ。
そして、僕が実家に来た時には、できる限りの事をしたいと思っているのだろう。

だから止まらない。

お互いがお互いを想っていることはよくわかるんだが、それ故に不満がたまってしまうという状態。

こんなにもコミュニケーションが取れなかったっけ。。。

僕からすると、母は意固地になっているようにも見える。
母からすると、たぶん僕は余裕がないように見えるだろうな。
僕と母の間のコミュニケーションは、いつからか、少し不自然になってしまった気がする。
そのことが一番悲しい。

自分が母を安心させてあげられたり、母を幸せにできるとしたらなんなんだろう。
そう思いながら、今夜も論文を書く。
ここ数年、そんな感じ。

よし。頑張ろう。

NERA2017で発表します

NERA2017の査読(?)通りました。

査読と言えるほどしっかりしたものなのか正直わからないけれど、

abstractがacceptされたことは間違いない。

「こんなもん査読っていうほどじゃないよねーたぶんフリーパスだよねー」とか昔はナメたこと言ってたんだけど。

去年、自分自身が落っこちたことで、「一応ハードルがある」ことを自ら示してしまった。

そんなわけで、今年はそれなりに緊張しながら結果を待っていた。

ら、先日、無事つうかしたと連絡が来た。

よかった。

 

デンマークだ。楽しみ。

「プリミティブな問い」から「結果として生じる独自性」:EDIM’16を見ながら(運営しながら?)感じたこと

先週の土曜日は勤務先が主催するシンポジウムでした。

【教育デザインと情報メディアを考えるシンポジウム2016 特設サイト】

自分は実行委員の一員として関わったけど、一参加者としても感じるものが多かった。

特に、佐藤先生の講演は面白かった。

以下に、感じた事をごく簡単に書いておきたい。

佐藤先生の話を聞いて感じたこと①。

力ある人に共通する傾向として、【「そもそも」から考える】という思考態度を持っている事がある気がする。

「そもそも自分は・・・」

「そもそも伝えるって・・・」

こういうレベルから、まず、「自分で考える」わけだよね。

だから、考える上での土台というか、フィロソフィーのようなものが筋が通っているし、しっかりしている。

参考:この話、たまたま読んだよしきのFacebookの話に近かった

そして、その結果、知らず知らずのうちに独自性を獲得している。

例えば、佐藤先生は「音から作る」という方法論をとっていた。

これは佐藤先生の独自の方法論。

先生がてがけたCMを見るとその特徴がよくわかる。

参考:佐藤雅彦CM集(youtube)

これは、既存の考えにしばられず、そもそも「伝える」ということを考えた時に行き着いた話。

CMを考える時には、なんとなく「映像で伝える」と考えてしまいがちだけど、本当なのか、と。

これは、「伝える」とはなんなのか、というところから来た発想。(そのプロセスについては忘れてしまった)

そういう「プリミティブな問い」から「結果として生じる独自性」がある、ということかな。

そんな構造が結構あるんじゃないかな、と思います。

佐藤先生の話を聞いて感じたこと②。

なぜだかわからんが、コルトハーヘン先生との親和性を感じた。

たとえば、↑の節で書いたことは、オニオンモデルのリフレクションに近い感じがした。

他にも。

佐藤先生の「理論」との関係性。

自分の実践、課題意識から発進し、自分なりの方法論をまとめてみる、ということ。

そして、それを既存の理論との関係で考えてみる、ということ。

(すごく面白い図がスライドの中にあったんだけど、これを見せられないのがツライ…独自の方法論と「認知科学」などとの関係を図で示したもの)

これは、コルト先生のいう、「大文字の理論、小文字の理論」のくだりに近いかんじがした。

優れた実践者の思考というのは、共通するところがあるのかもしれない・・・

さて。

かなりざっくりと2点書いてみた。

今回のシンポは学びが大きかったなと思う。

シンポには佐藤先生のファンがたくさんいたけど、確かに、先生にハマる理由はわかる気がした。

さてさて。

来年はどんなお話が聞けるんだろうか…

楽しみや…