専門家は専門家であるからこそ沈黙する 〜足して9.0の問題を通して

足して9.0になる問題の採点が話題になっている。
これについて、僕は「いろんな考えが出せる空気だといいな」と思っている。

多くの否定系(両方○だろ)の方が、「こんなん議論の余地もない」、「小学校教員はアホだ」、「虐待だ」と言っている()。こういう「勢いのある声」が大勢を占めることで、言ってる本人は満足だろうが、私は、それでこの問題は前向きな方向にすすむのだろうか、と危惧している。

この問題は、有効数字の話やら、「こたえはひとつ」って感覚の話やら、いろいろと視点はあり得る。
肯定派につながりうる(と僕が思う)のは、「どの段階(年齢)でどんなことを学ぶべきか」っていうことに配慮するようなカリキュラム論とか、認知科学の知見のような気がするけれど、そういった専門家からは特に声があがってない気がする。

これは、そもそも僕の認識が違う(↑これらの分野はこの問題に出せる知見はない)のか、それとも、口をつぐんでいるかのどちらかではないだろうか。
前者であれば特に問題はないんだけれど、後者の可能性もけっこうあるんじゃないだろうか。

ちょっと考えてみると、そもそもこういう社会的に議論が沸騰した(炎上系の)話題になると、専門家が口を出しづらくなると思う。
なぜなら、専門家であるということは、その領域を生業にしているからである。
評価を落とせば、メシを食えなくなる。

もちろん、学会等での評価と世間の評価は直接リンクはしないし、主に学会(というか研究者間)の評価で職は決まるわけだけれど、研究者余り過ぎの近年において後者のイメージが悪い人をあえて採用しようとはしないんじゃなかろうか。

世間の評価を高めることで、のし上がっていく人もいなくはない。
社会学系にはいそう。
話題性を背景に採用されるとか。
そんなこともなくはない。

が、実際、それはけっこう難しい。
学会で、(それなりに話のわかる)研究者間で議論することは特に問題ないだろうが、どの方向から矢が飛んでくるかわからない、前提も経験もそれぞれ異なる、そして、圧倒的な量の圧力と、罵声の勢いの中で議論するのは怖いし難しい。相当なスキルを必要とする。
何よりも、時間とエネルギーが搾り取られる(経験あり)。

特に、全体的な方向性がかなり一方向に傾いているなかで、それと異なる視点や意見をだすのは、かなりハードルが高い。
そこに発言すれば、瞬く間にツブされるか「何言ってんだアイツ」となるし、議論も成立せず、ただ疲弊するということがよくある。
研究者間でも「あー、あの人、やっちゃったね。黙ってればいいのに。」的な視線を向けられることもあるだろう。
「アイツが発言したせいで、同じ領域の俺らまで巻き込まれたじゃねーか」 という批判もあるだろう。

そういう人は、やっぱり、採用等では避けられてしまうのではないだろうか。

だからこそ、専門家は口をつぐむ。

そういう意味で、どうしたら様々な意見がでうるのだろうか、と思う。

沈黙を金とする日本人の美徳というか、(逆に言うと)発言することへの恐怖感みたいなものもあるだろうし、それへの批判も考えられる。つまり、「言わない奴が悪い」、と。
とはいえ、会議とかそういった場での沈黙を批判することと、こういう荒波の中での沈黙を批判することはそもそも違うんでないかな、と思うし、一方で、何らかの意見をいう時、激しい言葉を使えば使うほど、議論が成り立たないことになるのは、会議もネット上も同じだろうな、と。
むしろ、不特定多数を相手にし、大きなうねりが生まれうる後者であれば、それは尚更ではないだろうか。

そういう事に気をつけないと、いろんな意見が出たり、新たな気づきを得られるような議論にはならないだろうな。

ま、そんな気をつかった言い方じゃ、ネット上のウネりの中では埋もれていってしまうんだろう、という事もわかりつつね。

自分自身は、きをつけていきたい。

あんまり極端な言葉を使わないとかね。。。

以上。

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