教育行政と現場と研究者と

働き方も含めて様々な問題で考えてきたことだけど、僕は、教育行政は教育に関する大事なプレイヤーの一人(一つ)だと思うし、そこにいるのは「人」だと思っている。だから、何かズレがあれば対話してすり合わせてなんとか協力すべき相手だと思っている。

もちろん、権限の大きさに非対称性はあるし、逆側のコミュニケーション(行政→教員)をもっとどうにかすべきだという声はもっともだし、制度に関する認識のズレや不満も分かる。だけど、プレイヤーだと思っているからこそ、その「ズレ」をどうにかするには、教員→行政のコミュニケーションは、罵詈雑言を突きつけたり嘲笑するのではなく、対話していくべきだと感じている。

教育行政を悪者にしておけばとりあえず溜飲は下がるのかもしれないけれど、それは何も解決しない。SNSでそういうものを吐き捨ててそれが共有されて「ピース」とかして気持ちいいかもしれんけれど、対話の可能性はどんどん失われていく。ストレス解消にはなるが、解決はどんどん先延ばしになっている。

もちろん、そういうものも全て受け止めて、、、という大きな懐を持つことも行政には求められるかもしれんけど、そこにいるのは「人」だしね。どこまでも、というのは厳しい。「人と人として」「プレイヤーとプレイヤーとして」語り合えることを目指したい。

昔、指導教員の勝野先生から「町支さんはずっと同じこだわりを持っている」といっていただいて、それが何なのかわからなかったけど、この「行政と現場の対話の可能性」だったんだな、と今思う。そこに貢献したい、という気持ち。学校開発政策コースに入りたいと思ったのもそこがあったんだろうと思うし、文教交流会に魅力を感じたのもそこ。そして、行政と関わりながら現場に向き合う研究をしているのも、そこを結ぶ橋渡しになりたいという思いからなんだと思う。

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