教材から作られていく人間関係

僕は、自分の出身も、教育実習も、最初の勤務校(非常勤)も、ツクコマだ。

この非常勤までの期間で、僕の授業づくりの基礎は作られたと言っていい。

「非常勤で!?」と思われるかも知れないけれど、この1年は悪戦苦闘だった。

何しろ、僕より知識がある子がゴロゴロいた。

今であればもう少し落ち着いてやるんだろうが、当時は、やっぱり「(授業的な意味で)なめられたくない」と焦っていた。

面白くない授業は容赦無く斬る、という生徒のスタンスは、卒業生であることもあって、死ぬほど理解していたから。

必死になって教材研究しまくったし、あの手この手で教育手法も試した。

たった一年ではあったが、自分の基礎を作ってもらった一年だと思う。

次に、専任としてつとめたのは、公立の中学校だ。

なんとなく、授業を変えないといけないんだろうと思っていた。

正直言って、公立の中学生に向き合うのは初めてだったからだ。

それに、中学において最も重きが置かれるのが生徒指導だというのは分かっていたから。

でも、結論からいうと、大きく変える必要はなかった。

もちろん、(言い方難しいが)既存の知識のレベルは異なる。

とはいえ、結局は、教材をきっかけに、うーん、うーん、と一緒になって頭をひねったり、互いの考えの違いを知る時間や場が人間関係をつくり、そこにまた新たな教材が水滴のようにポチョンと入ってきて、その人間関係のなかで教材が輝くというか。。。

この感じは、国立でも公立でも同じ。

良く書きすぎかもしれないし、表現が難しい。

でもそんなイメージ。

中学教員時代も他のクラスを見る機会はおおかったし、中学校を離れて研究の道に入り、他の人の授業、特に小学校の授業もたくさん見るようになったが、自分とは異なるスタイルがあるのは、今となればよく分かる。

まずいい関係性、コミュニティー(と言ってもそこの質に色々あるが、大きく言ってコミュニティー)をつくり、そして、そこがメインで、そこに教材が入ってくる感じ。

整理すると2通りあるんだけど、でも、やっぱり子どもが学べているように感じる授業やクラス(曖昧な言い方で申し訳ない)は最終的に似たようになると思う。

関係性から入るか、教材から入るか、という違いはあっても。

もう一度イメージで書く。

教材をきっかけに、うーん、うーん、と一緒になって頭をひねったり、互いの考えの違いを知る時間や場が人間関係をつくり、そこにまた新たな教材が水滴のようにポチョンと入ってきて、その人間関係のなかでまた教材が輝くというか。。。その繰り返しのなかで(結果的に)いいクラスができていく。そんな感じ。

教材と教育手法も、つきつめれば人間関係につながるのではと思う。

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