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けむけむにまきまき

「そもそも論から考えよう」というスタンスで話を始めた人が,「クリティカルシンキングって大事ですよね」「レジリエンスって大事ですよね」みたいな,フワッとした言葉でしか説明できなかったり,「▼▼っていう学者が●●って言ってます」みたいなことで何か説明したみたいな感じになってたりすると,聞いてる側としてはやっぱり,けむにまかれたような感じになるよね.

じゃーチミかわりにやってみて,とか言われると困るんだけれども.

イチサンカシャとしてはそんなことを思っちゃった.

先日イベントでやったアイデアソンを授業で試してみた

先日やってみたアイデアソン,問いをちょっと変えて授業でやってみた.

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結果としては,結構,盛り上がったように思う.

テーマ:新しい修学旅行を考える.学びと思い出の両立.予算7万円

アイデアソンのこと,まだ詳しくありませんが,二つの目的で使えそうな気がする.

一つは,プロセスを通じて互いのコミュニケーションを改善したり,共通のビジョンを持つようなことを目的にするもの.もう一つは,結果として出てくるソリューションの開発を目的とするもの.

これまでのアイデアソンはアプリ開発やものづくり,街づくりなんかに関わるものが多いと思うけど,アプリ開発は後者だけど,まちづくりは前者の場合も多いかなと思う.企業と提携したりして,実際にサービスが生まれる場合,3Dプリンタを使って実際にものづくりができる場合とかをのぞいた場合(自分の授業含む)は,ソリューションやプロダクトを目的にするのがなかなか難しそうで,前者の話になるのかなと思う.

 

その場合,ようは話が盛り上がって,コミュニケーションが活発になることを目指すなら,実現可能性なんかに関する厳密な議論は時には必要ない可能性もあるし,それを問うような問いのたて方も必ずしも必要ないのかも.

この問いのたて方含め,まだまだ改善の余地はありそうだけど,面白いものになる可能性をひめている気がする.というわけで,これからもいくつかやってみようと思う.

イベントについては,またいずれレポートを書きやす.では.

 

そりゃーねーだろーって話が出た時は。

行政や大企業から「そりゃーねーだろー」って話が出たとき、
あるいは、そういう報道が一斉に行われたり、
そんな情報が一気にシェアされたりしたとき、、、

そんな時には、「そりゃーねーだろー」から転じて、

【さすがにそれはないよな】

っていう可能性を
まずは考えてみた方が良い気がしている。

つまり、「●市が▲と言った」ていうとんでもない話があったとしたら、
ひとまず「さすがに●市は▲って言わないよな」と想定して
捉えてみることは大事なんじゃないだろか。

っていうのもさ、「ほんとはそんなことは言ってない」って
パターンは結構あるように思うんだよね。
言ってないのに、報道のされ方や、
拡散される過程でのズレとかが発端になって
大きな齟齬がうまれちゃう、とかね。
結果、みんながみんな誤解しちゃったりもする。

で、そういう少しズレた見解であっても
一旦広まっちゃうと市民権をもっちゃうところがある。
元の言動とか元の報道とか、全てをその発想で
理解すれば理解できちゃったりするんだよね。
いくら「誤解だ」と誰かが言っても、
別の前提ができちゃってて、なかなか解消するのが
難しくなったりするんだよね。

だからこそ、そうなる前に。

まずは、「さすがにそれはないよな」という想定で
誤解の可能性を考えてみることが大事なんじゃないかと。

っていうのもさ、誰かを批判したりする時に、
焦る必要ってないと思うんだよね。
まぁ、ニュースが旬のうちにコメントするってのも
大事だとは思うんだけど、
一旦引いて考えてみてからでも遅くないんじゃなかろか。

僕はそうしたいと思います。

ま、もちろん、内容によりますが。

専門家は専門家であるからこそ沈黙する 〜足して9.0の問題を通して

足して9.0になる問題の採点が話題になっている。
これについて、僕は「いろんな考えが出せる空気だといいな」と思っている。

多くの否定系(両方○だろ)の方が、「こんなん議論の余地もない」、「小学校教員はアホだ」、「虐待だ」と言っている()。こういう「勢いのある声」が大勢を占めることで、言ってる本人は満足だろうが、私は、それでこの問題は前向きな方向にすすむのだろうか、と危惧している。

この問題は、有効数字の話やら、「こたえはひとつ」って感覚の話やら、いろいろと視点はあり得る。
肯定派につながりうる(と僕が思う)のは、「どの段階(年齢)でどんなことを学ぶべきか」っていうことに配慮するようなカリキュラム論とか、認知科学の知見のような気がするけれど、そういった専門家からは特に声があがってない気がする。

これは、そもそも僕の認識が違う(↑これらの分野はこの問題に出せる知見はない)のか、それとも、口をつぐんでいるかのどちらかではないだろうか。
前者であれば特に問題はないんだけれど、後者の可能性もけっこうあるんじゃないだろうか。

ちょっと考えてみると、そもそもこういう社会的に議論が沸騰した(炎上系の)話題になると、専門家が口を出しづらくなると思う。
なぜなら、専門家であるということは、その領域を生業にしているからである。
評価を落とせば、メシを食えなくなる。

もちろん、学会等での評価と世間の評価は直接リンクはしないし、主に学会(というか研究者間)の評価で職は決まるわけだけれど、研究者余り過ぎの近年において後者のイメージが悪い人をあえて採用しようとはしないんじゃなかろうか。

世間の評価を高めることで、のし上がっていく人もいなくはない。
社会学系にはいそう。
話題性を背景に採用されるとか。
そんなこともなくはない。

が、実際、それはけっこう難しい。
学会で、(それなりに話のわかる)研究者間で議論することは特に問題ないだろうが、どの方向から矢が飛んでくるかわからない、前提も経験もそれぞれ異なる、そして、圧倒的な量の圧力と、罵声の勢いの中で議論するのは怖いし難しい。相当なスキルを必要とする。
何よりも、時間とエネルギーが搾り取られる(経験あり)。

特に、全体的な方向性がかなり一方向に傾いているなかで、それと異なる視点や意見をだすのは、かなりハードルが高い。
そこに発言すれば、瞬く間にツブされるか「何言ってんだアイツ」となるし、議論も成立せず、ただ疲弊するということがよくある。
研究者間でも「あー、あの人、やっちゃったね。黙ってればいいのに。」的な視線を向けられることもあるだろう。
「アイツが発言したせいで、同じ領域の俺らまで巻き込まれたじゃねーか」 という批判もあるだろう。

そういう人は、やっぱり、採用等では避けられてしまうのではないだろうか。

だからこそ、専門家は口をつぐむ。

そういう意味で、どうしたら様々な意見がでうるのだろうか、と思う。

沈黙を金とする日本人の美徳というか、(逆に言うと)発言することへの恐怖感みたいなものもあるだろうし、それへの批判も考えられる。つまり、「言わない奴が悪い」、と。
とはいえ、会議とかそういった場での沈黙を批判することと、こういう荒波の中での沈黙を批判することはそもそも違うんでないかな、と思うし、一方で、何らかの意見をいう時、激しい言葉を使えば使うほど、議論が成り立たないことになるのは、会議もネット上も同じだろうな、と。
むしろ、不特定多数を相手にし、大きなうねりが生まれうる後者であれば、それは尚更ではないだろうか。

そういう事に気をつけないと、いろんな意見が出たり、新たな気づきを得られるような議論にはならないだろうな。

ま、そんな気をつかった言い方じゃ、ネット上のウネりの中では埋もれていってしまうんだろう、という事もわかりつつね。

自分自身は、きをつけていきたい。

あんまり極端な言葉を使わないとかね。。。

以上。

家訓

舐めてかかって、真剣に。
敏感かつ、図太く。
空気を感じて、空気を読まない。