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良い学校組織とは? ~~教科書を読み返してみようシリーズ②佐古ら(2011)『学校づくりの組織論』

「組織」として学校をとらえることは、かつて忌み嫌われたこともある。その理由のひとつは、組織の一員として教員をとらえた場合、教員の自律性が損なわれると考えられたためだ。

職階制の導入などが同時に進められたため、そういう縦の統制的な側面が強く意識された時期もある。今でもそういう側面があることは否定されないが、近年は組織として学校をとらえることは基本的に受け入れられている(と思う。)


追記:↑この点には学校段階によってかなりの違いがある気がする。高校は相対的に見て「個」として動く場面が多いかも。

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背景には、学校を取り巻く状況が複雑になりすぎて、一人では対処できない問題が増えていることもあるかもしれない。

そもそも論から言えば、組織の成立条件は‘’共通目的と貢献意欲とコミュニケーション‘’であって、程度の差はあっても教員集団がこれらを持たないなんつーことはあまりないんじゃなかろうか。

いずれにせよ、学校を組織としてとらえること自体に異論がはさまれることは、ほとんどなくなった。

いま学校づくり関連の業務を担当していることもあって、改めて学校組織論について学んでいる。

学校組織論の目的は基本的には「よい組織」を目指すことだと思うけれど、そうすると当然想起されるのは「どのような組織がよい組織か」である。

居酒屋トーク的に言えば「そんなもんイロイロだろ」なハナシ。どういう状況下にある学校か、どんな目的を持った学校か、による。
究極的には「子どもが育ってるかどうか」で考えればよい(「育つ」の意味は多様だとしても)ようにも思えるけど、昨今の教員の労働環境の問題も考えると、複雑だ。
例えば、子どもはバンバン育つけど、「子どものため」意識が強すぎて教員がすぐ燃え尽きる。が、リソースが豊富なので、かわりの優秀な教員がすぐ雇えて、引き継ぎもバッチリで子どもは育ち続ける…‘’という学校があったとして、それを「よい学校組織」と言っていいかは微妙だと思う。

つまり子どもが育ってさえいればよいというのは単純すぎるのかもしれない。「どんな組織がよい組織か」は簡単には定められないんじゃないだろか。

この問いは、実践的な関心だけでなく、研究的な関心にも深く結びついている。
端的に言うと、組織に関する研究をしたときに、従属変数を何にするか、という話とつながっている。

これ系の話でよく引き合いに出されるのは、「効果のある学校」研究。

「子どもの育ちは、結局社会経済的状況次第で、学校は無力」という考えを批判的にとらえ、「必ずしもそうではない。社会経済的状況を乗り越える学校はある」という考えのもと、そういう学校の特徴をさぐったという研究。

ただ、この「効果のある学校」研究で従属変数になっていたのが学業達成だったため、それにたいする批判的検討が行われた。つまり、「学校組織が目指すのは学力向上だけじゃないだろ」ということ。「学力があがる学校だけを評価するのはどうなん」、と。

そしてそれらが、「そもそもよい学校組織ってなんなんだろ」論につながる、というわけだ。

確かに映画「みんなの学校」に出てきたような学校は、もちろん学力的な効果もあるだろうけど、あの大空小学校の学校組織がよい組織かどうか考えるのに、「学業達成」だけで見てたら捉えきれないというのはよく分かる。

もっと多様な効果があるだろうし、分析するなら多様な変数が必要だろう。

少し回り道をしたが、改めて考えると、「よい学校組織」ってなんだろか。

ここまで出した話のなかでも、「子どもの育ちを考えても学力だけではないし、そもそもこども以外も見ないとね」と考えられる。

さらに言えば、「こども以外」と言ったときにはまず第一に想定されるのは教員だろうし、あるいは事務職の方や技術員さん、スクールソーシャルワーカーさんなども考えられる。

けど、よく考えれば「よい学校組織」を子どもやら教員などの「ナカの人」だけで考えるのもどうなのよ、とも言える。もっと社会全体にとってどうなのかも考えるべきじゃない?というのは当然あり得る指摘だろうと思う。

とか考えると、人生イロイロ、学校組織もイロイロ、多様な多様性でタヨタヨチーン、、、とか頭が混乱してしまいそうであるが、そんなときに指針になるのが、これまでアカデミックに蓄積されてきた「学校の有効性」モデルである。

学校の有効性モデル論において「良い」と示されているものは、ザッッッッッッッッックリ言うと以下のような学校組織。

<1>目標達成できる学校組織

何を良しとしていいのかさ、分かんないからさ、自分達のたてた目標を達成できるような学校組織がいいんじゃない?

<2>内部の状態が良い学校組織

文化とか、リーダーシップとかコミュニケーションとかさ、組織の内部の状態こそ大事じゃない?

<3>問題のない組織

困難、弱み、トラブルがないことって、大事よね?

<4>リソースやインプットを得られる学校組織

いい生徒を獲得できるとかさ、研究指定えられるとかさ、そこ次第なとこあるよね。

<5>関係者にとって「よい」学校組織

生徒、保護者、教師、管理職や教委とかにとって「良い学校」って感じられることが大事よね。

<6>世の中から見て「よい」学校組織

関係者だけじゃなくてさ、社会から見て「良い」と認められなきゃね。

<7>継続的に改善できる学校組織

外部の変化に対応できたり、組織的な改善ができる学校こそ、いい組織よね。

…という感じ。

もちろん互いに重複はあったりするし、どれかさえ満たせばいいって話じゃない。

とりあえず全部の軸で自組織を評価してみる、とかやってみるといいのかも。

1.目標は達成できてんの?
2.組織内部はどうなん?
3.問題はない?
4.リソースやインプットは十分ゲットできてんの?
5.関係者にとっての満足度はどうなん?
6.世の中的に見てもイイネって思ってもらえるんかな?
7.周りの変化にちゃんと対応できてるん?

とかね。
も少し具体化しないと難しいか。
でも、これって一つの軸で考えるばっかじゃ視野狭くなるよね、とか他に目をむけるきっかけになるかも。

あと、合わせて考えたいのは、その軸が機能しうる「条件」みたいなものもあるということ。
例えば、1は目標が明確でないと意味をなさないし、2は内部とアウトカムの関係が明確な場合に有用。3は他の軸が有効であれば優先度は低くなりうる。。。

そういう意味では、「どの軸で″良さ″を捉えることが有効か」を考えること自体が、「自組織の文脈を振り返り、整理する」ことにつながり、有効かもなぁ。。。

そういうワークショップもやってみたい気がする。

なんてね。

…そんなことを考えていた北海道からの帰り道。
離着陸、上昇降下のあいだって暇ですよね。
無事羽田について、今から羽田大勝軒。

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今回書いた「学校の有効性に関する諸モデル」やそれらの「有用性の条件」については、佐古・曽余田・武井(2011)『学校づくりの組織論』の13頁ぐらいから書かれてます。

詳しくは(正しくは?笑)そちらをご参照ください。

では。

強みをいかす学校づくり :カリキュラム・マネジメント研修

先週、某自治体の教育課程の協議会(高校)におよばれし、講師をしてきました。
マナビラボチームで研修に参加するのは今回が初めて、かつ、コンテンツも刷新して初めてだったので、なかなか緊張度高かったです。

内容のポイントは2つ。

①まずは、「マネジメントを考えるとき、強みを意識しよう」ってこと。ポジティブ心理学とか、AI研修っぽいことをイメージして考えてみました。
例えば、4Dプロセスも紹介してみました。

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<参考:山田(2016)「学校のポジティブな組織開発が教職員に与える影響の過程の探求」> 

 
②もうひとつは、「やりたいこと」と「教科横断」の関係。

教科横断のために他教科と連携するのではなく、取り組みたいテーマや育てたい力がありその目的にかなうからこそ教科横断していた、という形がいいんじゃないだろか。
という提案。

行政から示されて、「やらなきゃ」ってなると、得てして手段が目的化してしまうことが多いので、一歩立ち止まろう、という話。

以上2つをポイントにしてやってみました。
これらのポイントを、具体的にどんなワークを通してやったかはまたいつか。

進め方にはまだまだ課題もありましたが、内容は悪くない感じがします。
チームでよりよいコンテンツにしていけたらと思います!!

持続可能な授業研究

先日、とある小学校の校内研修会に参加した。
今後求められる資質能力をふまえ、具体的な提案を含んだ、大変学びに富んだ会だった。
ところで、今回の講師の先生のコメントの中で一番印象に残ったのは次の言葉。

「終わったとき、『あぁ、もっと面白い授業したい』とか『もっと深めたい』と思うような研究しましょう」

ということ。当たり前と言えば当たり前なんだけど、結構そうでない場合も多い。

「『もう二度とやりたくない』と思うような研究ならやめときましょう」

そんなことも言ってらっしゃった。
出来なかったことを指摘しあってボコボコにしたり,形を整えるために莫大な労力をかけたり,そういうことになりがち.そんなんなるなら校内研究も考えもんだよね.

肯首肯首.
肯首肯首肯首.

ジェンガみたいなもの :学校の業務改善に関わって

最近,学校の業務改善について友人と議論することがあった.

「学校はやることが多すぎる.」
「取捨選択をすべし.」

まさに,その通りだけれど,実際のところ,何をやめていいのか考えるのかはかなり難しい.
コストと効果ととが複雑に入り組んでて,短期長期で考えるとかなり難しい.

その際,会話の中で「ジェンガみたいなもの」という喩えが出たのだが,まさにそうだと思う.

しかも,終盤にさしかかったジェンガ笑.

どれを抜いても大丈夫なのか,かなり難しい判断.

引っこ抜いて,崩れてしまったら,つまり,喩えとしては「荒れてしまった」ら,業務改善どころではないし,平時の忙しさの何倍も何百倍もきつい...
そういう綱渡り的な取捨選択であること,そういう難しさがあることに寄り添いながら物事を言っていかないとあかんなと思う.

そんなことを思ったりしました.

では.

教育経営の時代 : 「カリマネ」をこえて

大きなタイトルをつけてしまった笑。
たぶん、夜、眠い状態で書いてるからだと思う笑。
これから数年間つきあうことになるかもしれない「カリマネ」ってものについて書いておきたい。
思ってることをダーーーっと書いとこうと思う。

カリマネ。
カリキュラムマネジメントの略。

カリキュラムマネジメントには三つの視点があるという。

=====
1、各教科等の教育内容を相互の関係で捉え、学校の教育目標を踏まえた教科横断的な視点で、その目標の達成に必要な教育の内容を組織的に配列していくこと。
2、教育内容の質の向上に向けて、子供たちの姿や地域の現状等に関する調査や各種データ等に基づき、教育課程を編成し、実施し、評価して改善を図る一連のPDCAサイクルを確立すること。
3、教育内容と、教育活動に必要な人的・物的資源等を、地域等の外部の資源も含めて活用しながら効果的に組み合わせること。
=====
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1364319.htm

「教科を越えて、学内外のリソースを活用しながら、教育課程について評価改善する」こと。

カリマネに対しては批判があるらしい。
現場への丸投げじゃないか、と。

ALやるけど、内容けずらないよ。
経験主義も系統主義もやるよ。
そこまで膨らましといて、絞るの、選ぶのは学校任せ。

確かにこれは丸投げと言われても仕方ないかもしれない。

でも、一方でこれを本当に実現できるなら、それはそれで悪くない。
文科省や誰かに押し付けられた「必要なこと」じゃなく、学校や教員自身が重要だと思うことに注力するということ。
それ自体は悪くない。

ただし、「出来るなら」
そういう意味では、結構、「賭け」なのかもしれないと思う。
(中教審や文科省がそう認識してるかはわからんけど)

その意味じゃ、正直言って、賭けに出るのは早すぎると思う。
改革なり、改訂なり、ここんところ詰め込みすぎだと思う。
理想論語りすぎだと思う。
普通にやれば、消化しきれない。

でも、じゃあ一方で、失敗したほうがいいかといえば、もちろんそんなことはない。
おそらく、この賭けに失敗したら、そこからもう一度一歩踏み出すには、もっと時間がかかりそう。

マナビのあり方(指導要領改訂・主体的対話的…)、その運営方針(カリマネ)、教員の力量(養成採用研修の改革)、これらを全て無にしかねない要素(多忙)の改善(働き方改革)、、、これらを一気に一体的に変えていこうという賭け。
今、賭けに出るべきなのか、という疑問は残らなくはないけれど、おそらくこれはもう、後戻りすることはないと思う。

だとしたら、僕はこの賭けにはノリたい。
僕は、なんとかして賭けがうまくいく方にかけたい。
この変革に対してプレーヤーとして関わりたい。
うまくいくべく後押ししたい。

ところで、実際のところ、カリマネって何なんだろうと思う。
カリキュラムの検討のために時間や会議を作ればうまくいくかといえばそうじゃないだろう。

そもそも、授業のことちっとも気にしない校長だったらこんなんできないし、他教科のことをどうでもいいと思うような教員集団なら「教科をこえて」なんてできっこない。
それに、どう考えたって、取捨選択するには教科間の軋轢なんかも避けて通れないわけで、組織としての意思決定のありかたが鍵になるのは間違いない。

つまり。

カリマネってのはカリキュラムの話に閉じられたもんじゃない。
結局、「組織としてどうなの」ってことが問われるんだと思う。
マナビや子どもたちの成長ってのを真ん中に据えて、組織が組織として意思決定して、機能していけるかって話だと思う。

「マナビを中心とした学校づくり」

これは、ちょっと前の話になるけど、「学校づくりゼミhttps://gakkoudukuri.wordpress.com/」とかでやろうとしていたこと。これが必要とされる時代がほんとにきたんだと思う。

まさに教育経営の時代がきたと思う。

これらを実現していくために、いくつかの鍵があると思う。

重要なのは、リソースや社会の支援・理解。
これはもちろんそう。

もう一つの大事な点は、トップの力。

学校はボトムアップが大事だと思う。
「私は黒子だから」的な校長も多い。
もちろんその通りだと思うけれど、一方で、「存在を消していい」わけではない。
表に立たなくても、ちゃんとマネジメントする人としない人がいる。
トップがマネジメントできるかどうか。
これは、今後さらに重要になると思う。

これまでも『校長が変われば学校が変わる』と言われてきた。
校長が大事という認識はこれまでもあったと思う。

でも、それは、いい校長がきてくれるかどうか、という、いわば当たり外れの話だった。
一方で、力量形成へのあきらめも表しているように思う。
結局、「できる人」と「できない人」は決まっていて、その「どっちが我が校にくるか」次第って話のようにも聞こえる。
つまり、「できない校長」が「できる校長」になっていくとは、想定されていないようにも思う。

僕はここんとこをどうにかしたいと思う。
校長の力量形成やその支援ってのは、もっとできるんじゃなかろうか。
専門職基準が出されたり、いろんな研修をやってらっしゃる先生はこれまでもいた。
その先生たちのことは本当に尊敬している(あの先生みたいになりたいと思ってきた先生もいる)。
僕自身、そこに新たな一歩を加えられるべく関わりたいと思う。
傍観してるよりはよっぽどまし。

前回のブログにも書いたけれど、「力量形成について調査して、それを生かして仕組みや研修そのものを作っていく」という形。
その校長バージョンをやっていきたい。
やっていきたいというか、やる。
というより、やることになっている。

マナビラボで。

ここんとこ、校長の力量形成について、横浜市の調査もあったし、国研の調査も行われたらしい。
これから、マナビラボでも調査を行っていく。

そういう知見をいかしつつ、校長研修や、校長の力量形成についての仕組みを考えていく。
30台の僕がやるのはおこがましいかもしれないけど、やっちゃう(笑)
やっちゃうやっちゃう。
やっちゃうぞー。

という宣言で終わりたいと思います(笑)
みなさまおやすみまさい。なさい。