カテゴリー別アーカイブ: 教育行政

部活動問題の難しさの一つ 

このところ、部活動問題が世間を賑わしている。
部活動を担う教員が長時間労働で大変だという話。
やったことない部活を担うことが大変だという話。
保護者も含めいろんな人の思いに対応するのが大変だという話。

で、「部活動は学校の教員がやるべきことなのか」という議論が起きている。
この問題についての自分のスタンスはあるんだけど、一旦それはわきに置いておきたい。

ここでは、部活動の問題がつらいことの背景(はいろいろあると思うんだけど)、そのうちの一つについて取り上げたい。

それは、

【部活動のやり方は誰も教えてくれない】

ということ。

ここでいう「やり方」とは、練習方法などではない。
練習方法とかは、実は、それ系の雑誌もあったり。
本屋に行けばいろいろ売ってる。
「強くする」ための方法は色々ある。

むしろ、もっとシビア。

例えば・・・

・練習日を減らしたいんだけど、どうやって、どのタイミングでそれを伝えることで、スムーズにそれが可能になるか
・逆に、増やしたい場合に、どうやって合意をとるか

勤務時間の話が話題になっているので↑の点を取り上げてみたけど、他には・・・

・部活動の子達(特に自分が顧問になる前からの子)の持ってる考え方が、自分のやりたい方向性と合わない。どう変革していくか。
・保護者の期待が過剰すぎる。どう対応するか。

などなど。
総じて言うなら・・・ 【自分らしく部活動をやる方法】 かな。
さらに色をつけて言うなら 【部活動を楽しむにはどうしたらいいか】 かな。

これは、誰も教えてくれない。

授業であれば、大学でも学ぶ。
教員になってから研修もあれば授業研究もある。

生徒指導や学級経営も難しいところだが、
例えば、同学年の先生など、運命共同体になっている人たちがいるから、
その人たちに関わる中で教えてもらったり、学べる機会はそこそこある。

でも、部活にはそういう関係がない。

とりあえずまず、行政研修にはそういう機会はない。

顧問会みたいな組織はある。
ただ、そこで出る話は「強くするには」が基本。
そもそも、顧問会で人間関係築くには「強くしたいんですけど・・・」というスタンスが必要かな。

校内の他の部の顧問とそういう話が出来るかというと、ちょっと難しいかも。
↑にあげたような学年の繋がりとか、そういう関係性のなかでちょうど似たようなスタンスだったり、考え方のスタンスがあう先輩がいると、聞けるチャンスがあるかもしれない。

しかし、総じて言えば、部活動の「やり方」について学べる機会は乏しい。

なぜそうなるか。

ここでは公的な研修が行いづらい理由について書くけど、
その理由の一つは、やはり、「部活動の位置づけが難しいから」だろう。

部活動は、教育課程外の活動である。
”教育課程との関連を図る”とは言われている。
実際、学校内には部活動関連の会議体があるし、勤務時間内にも部活動は行われている。
しかし、「独自の取り組み」という建前がある。

そんな曖昧な位置付け。
で、その位置付けの難しさの最たるものが、部活動自体には給料が出ないということ(ちょっとだけでるけど)

この曖昧な位置付けが、公的な研修を行いにくい理由だと思う。
つまり、研修の間の教員はどういう立場で行ってんのか、てこと。
普段の部活関連の勤務は教員としては行えないけど、部活動の研修は教員として行ける、てのも変な話だよね。

もう少し別の言い方をすると、職務専念義務を外す時間として扱えるの?ていう。
教員(含め、地方公務員全員)には職務専念義務がある。
勤務時間内は職場で職務に専念「しなければならない」。
その義務を外せるのは、諸々理由あるけど、関わるところでいうと、「校外研修」だけ。
その枠に含められんの?っていう。

もちろん、曖昧なラインで行われていることはたくさんある。
部活のために外に出るってのはね。

その一方で、【教委自身が】それをやったら、妙に公的なお墨付きを与えることにもなったりするのかもしれない。
「部活研修にお金支払われるなら、部活は公務だよね。普段の練習も勤務時間に数えてよね」
そこまでヤ●ザな言い方はないだろうけど、そういう論拠になりかねない。

そんなわけで「研修として手を出しにくい領域」なんだろうと思う。
部活動のガイドラインを作るとか、部活動問題の検討会をすることはあっても、部活動についての研修は行いにくいんだと思う。。。ま、たまにあるけどね。。。ほとんどない。

(先日、ある教委の方とのインフォーマルな場で↑みたいな話をたけど、だいたい認識はズレてなかったように思う)

今日は、部活動の難しさについて、「自分らしいやり方を学ぶ機会が少ない」という観点から書いてみた。
これを書いた背景にある思いは、「もっと学びの機会があればいいのにな」ということ。
そうすれば、もっと自分らしく教員生活を送れる人が増えるんじゃないだろうか…

最後に、部活の運営について学ぶ機会はほとんどない、て書いたけど、部活の運営について色んなヒントが得られる稀有な本を1冊ご紹介したい。

◆杉本直樹 著 『部活動指導スタートブック : 怒鳴らずチームを強くする組織づくり入門』 →amazonはこちらから
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内容は、すごく実践的だし、「自分らしく部活を運営する」ためのヒントがたくさんある。
書いてあるのは、「組織」とか「経営」とか「哲学」とか・・・部活の本としては珍しい。
例えば、ある章のタイトル、「自分自身の『部活動経営哲学』をもつ」。

副題にもある通り、基本的に「強くする」ことを目指すというスタンスではあるんだけど、「自分の考え方をもって自分らしく部活を運営するには・・・」という視点ですごく勉強になる本だと思う。

といったわけで、以上で終わりたいと思う。
途中にも書いたけど、僕自身は、部活についてもっと学びの機会があればいいのになと思う。

逆に、そういう学びを得ずに(求めずに?)、最初から「イヤだ!!つらい!!!」てなる人が増えるのは、僕としては悲しいと思う。

もう少し言っちゃうと、今の、部活が政治問題化して、単なるケンカの争点になっているような状態は、やりたい人にとっても、やりたくない人にとっても、なんだか悲しいなと思う。

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気がつけば、また長くなってしもーた・・・
長文にお付き合いしてくれてありがとうございました。

最後になりますが、杉本先生の本は、まじでおすすめっす。
やりたい人にも、やりたくない人にも勉強になる。
というか、部活以外のことにもすごく活かせると思う。

僕は杉本先生のtwitterもフォロしちょります。

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追伸

この記事では公的な研修について書いたけど、徐々に、民間のセミナーとかでも部活運営のことを取り上げるものが増えて欲しいと思います。。。また杉本先生の話になっちゃうけど、先生のtwitterではそういう活動についても紹介されてますのでおすすめです。

嘘とかデマとか

ここんとこ、海外の教育制度に関わる2つの記事が話題になっていた。

一つは、 フィンランド教育4つの嘘とホント

もう一つは 大御所・大前研一さんのデマ記事に全力で反論、訂正します

前者はタイトルからも分かる通り、フィンランドの教育に関するもの、後者はドイツの教育に関するもの。

どちらも、実際にフィンランドやドイツにいた人、いっていた人のブログのよう。

海外の教育ってさ、フィンランドもドイツも、そして、オランダやらアメリカやらも、結構、理想化して捉えちゃうとこあるよね。。。

理想的な教育が、そこには、ある。

みたいなね。

結果、実態以上に極端にとらえてしまう、というね。

わいも気をつけねーとにゃあ。

 

韓国入試事情の話を聞いて:ハイパーメリトクラシー、ペーパーテスト改革、自国史などなど

今日の非常勤@専修は、ゲスト講師の方をお呼びしての授業。
大学院同期のイさんに、韓国の教育事情について話してもらった。
そこで聞いた話と、感じた印象をここに記しておきたい。

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 一言一句、細かいニュアンスまでしっかり聞いたいたわけではないので、ゲストの方の印象なのか、エビデンスのある話なのか、僕自身掴みきれてない部分もある。一般論かどうか、あるいは、韓国の人たちの共通認識として良いのかどうかは迷う部分がある。

とはいえ、ひとまず、記しておきたい。

▼ハイパーメリトクラシーと推薦入試

 韓国では、ハイパーメリトクラシー重視の傾向がどんどん強くなり、推薦入試の割合がかなり高まっているらしい。トップ校(例えばソウル大学)でも半数以上は推薦。
 日本では、東大が最近初めて推薦を始めたという状況。程度にはかなり差があるものの、ペーパーテストで測れない部分を重視したいという意味では共通しているとも言える。

▼ペーパーテストの変化

 逆に、一般入試においても、ペーパーテスト入試の重みはどんどん下がっているとのこと。これには2つの見方ができそう。
 一つは、ハイパーメリトクラシー的なもの(内心・面接)の重視による相対的な低下。ペーパーテスト(全大学共通。大学修学能力試験)で問える学力の重みはどんどん低くなっているとのこと。結果、ペーパーテストは「基礎学力があるかどうか」に特化しており、問題が非常に簡単になっている。
 もう一つは公平化を目指したもの。これまで良く語られてきた通り、韓国では受験競争が過熱し、私教育費(塾代など)がかなり高まっていた。そのため、経済格差がそのまま教育格差につながるという傾向があった。そこで、2011年から、公平化を目的に、EBS(教育テレビ)の内容を試験の基準にすることになった。EBSは格安で誰でも見られるため、それが問題のもとになれば、あまり条件に差がつかないという発想。日本の教育テレビを見ていても分かる通り、それほど複雑な内容は扱われない。かつ、放送の内容そのままの問題も数多く出題されているのが現状のよう。結果、簡単すぎて、あまり差がつかなくなり、選抜におけるペーパーテストの重みが低くなった。
 前述した因果とは逆で、むしろ、ペーパーテストで差がつかなくなったことが原因で、ペーパーテスト以外の評価方法の重みが高まった、(例えば、推薦入試枠が増えた。内心の重視)との説もある。

 ちなみに、ペーパーテスト軽視とはいえ、その対策はやはり必要。満点を取り、他人と差がつかない成績を取れる程度の対策は求められる。難しい問題を解けるようになってプラス点を取り、差をつけようという発想ではなく、簡単な問題をミスらないようにして、マイナスを生まないという対策。

▼内申と格差

 一般入試の中でも重み付けが高まったのが、内申や面接。「リーダーシップ」などの評価項目があり、例えば、ボランティアをどれだけやったか、といったことが評価されるようになった。一部には、ボランティアをやったという記録を金でどうにかするということも出来るようになり、むしろ、経済状況による格差は広がったとの噂もある。。。ハイパーメリトクラシーがそもそも環境要因に左右されやすい、格差を固定化しやすいという批判はあったが、こういった裏ルートへのアプローチという意味でも機会の格差は大きいのかもしれない。

▼ペーパーテストの方向性に関する日韓の差

 日本では、高大接続改革等で、論理的思考力とか、アウトプットの力といったものをペーパーでも問うていきたいという方向性がある。(例えばセンター試験改革など)
 一方、韓国はそういった方向にはいかず、ペーパーテスト型入試にある意味見切りをつけて、割り切って、「基礎学力があるかどうか」に特化していると感じた。

▼自国史の必須化

 ここまでの流れとは異なるが、自国史の話。
 韓国では、韓国史が、大学修学能力試験の中で必須になるらしい。他の科目は何を受験するか選択できるが、韓国史は必ず受験しなければならなくなったとのこと。大学に行くためには、韓国史を学ばなければならない。今年から。
 日本では、日本史の近現代史が授業として必修化される予定。ただし、これはセンター試験等とは関係なく、授業の必修化。
 ナショナリズム重視の時代において、歴史認識で対立する両国が自国史をほぼ同時に必須化する、というのはなかなか興味深い。どちらも、もっと自国史を大切にしようという発想。日本にいるイメージでは、韓国では自国史を昔からものすごく徹底して教えているイメージがあるが、韓国内ではそういう評価ではなかったらしい(やはり、「若いもんは我が国の歴史も知らん。教育がなっとらんからじゃ」的な評価)。
 一方で、そのアプローチが、入試の枠組みを通じて、あるいは、授業の枠組みを通じて、という違いがあるのも面白い。日本だと、センター入試の方式を変えるのは世代間の差とか生みそうで慎重になるし、国が介入しにくそう。そのあたりガッとやっちゃうのは、韓国の強みでもあり、危うさでもあるような気がする。

 


 

 以上が、今日の話と、それを聴きながら感じたこと(混在してまーす)。
 欧米なり、日本と全く違う国について学ぶのも新たな発想に気づくので面白いけれど、東アジアの国を見ると、どこか地続きな感もあり、逆に、違いが際立って見える気がして面白い。

僕自身、すごく楽しく話を聞かせてもらった。

同期つながりに感謝!!!

 

若者の投票率を上げるには、まず大人に訴えた方がいいかも :投票参加の期待効用モデルの紹介など

先日の非常勤先の授業で、政治教育を扱った。
18歳選挙権が開始され、かつ、受講者の殆どが18から20歳くらいということもあって、あえて政治教育を扱ってみた。

授業では、なぜ今政治教育が注目されるのか。政治的事象を扱う難しさや、政治的中立に関わる幾つかの事件・事象について話し、近年盛んな模擬投票なとの実践例を紹介した。
その中で、投票率の話をする際に紹介したのが、【投票参加の期待効用モデル】。

幾つかモデルはあるようだが、その中で、ライカーとオードシュックによるモデルを紹介した。Wikipediaにも載ってるし、多くの人が知ってるんじゃないかと思うけど、ここでも紹介しておきたい。

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Rがreward。その有権者の利得。これがプラスなら投票に行き、その逆なら棄権。

Pは、自分の投票行動が選挙結果に影響を与える確率(possibility)についての、有権者の認知。自分の一票の影響力をどう捉えているか、という話。
Bは、有権者にとっての政党間(候補者間)の期待効用差(benefit)。通ってほしい人が通った場合と通って欲しくない人が通った場合とで、どんぐらい違いがあるか。言い換えると、どんぐらい通ってほしい人がいるか、という話かな。
Dは、色々捉えはあるようだけど、義務感(duty)かな。つまり、有権者の責任として行くべき、というような感覚。
Cはコスト。めんどっちーかどうか。(参考;Wikipedia)

このモデルは納得感高い気がするなぁ。接戦とか、政権交代が話題になっていたりすると、Pが高く、強く選びたい党なり人なりがいれば、Bが高くなり、投票に行きたくなる。そういった状況とは別に、Dを大きく感じている人は投票に行く。と。

ま、それぞれの変数が独立とは言えないかもしんないけど、少なくとも整理には役立つ気がする。

さて、若者は、選挙に対して次のようなイメージを持っている(と言われている)。

・「自分が選挙に行っても行かなくても変わらない」とか、
・「違いがわからない」「誰がやっても一緒」とか。

これは、先ほどのモデルに合わせて考えると、前者がPの話で、後者がBの話であり、PやBが小さいということ。

ただ、これって本当かな?という疑問もわく。
というのも、こういう話がクローズアップされるのはだいたいテレビだったりするんだけど、テレビはこういう「わかんなーい」系の話を聞くときは、必ず渋谷でインタビューするんだよね。
(逆に、若者のしっかりした話を聞きたいときは、銀座の親子連れの子供の方に聞いたり。)

つまり、そういう「わかんなーい」系の若者像は、ある程度「つくられたもの」かもしれないという疑問は沸く。
本当に若者の傾向と言えるんだろうか。

・・・というわけで、このPBDCについての、年代別調査を見てみた。
2011年の参議院の時の調査かな。
手元に汚い画像しかなくて申し訳ないけど、

①P要因 自分の一票が選挙結果を左右すると思えた(下が若者。以下同)

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②B要因 自分の選挙区に、どうしても当選させたい候補者がいた

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③Bの逆転項目 候補者についてよくわからなかった

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④C要因 投票に行くのは面倒だった

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これらを見ると、見事に年代で差が出ており、前述のイメージ通りの結果になっていることがわかる。
確かに、若者は一定程度、そういう傾向にあるようだ。

(グラフの引用元は、『初めての政治学―ポリティカル・リテラシーを育てる』明治学院大学法学部政治学科)312ud7uwicl-_sx339_bo1204203200_

 

さて、政治教育の話に戻ります。

前述のモデルに絡めて言うと、これまでの政治教育はほとんどDにつながる話だけをしてきたんだと思う。民主主義の仕組みやら選挙の仕組みやら、仕組み系の話とかが話の中心。
というのも、旭丘中学校事件を始め、諸々の経緯を経て、具体的な政治的事象について触れることはむしろタブー化されてきた(この辺りは組合とか出てくる話で、話がややこしい)。
個々の政策、ニュースに出てくる政策などについては、時事問題等でその政策に関する基礎知識を扱うことはあっても、その政策について「どう思うか」といった事はやってこなかった。
繰り返しになるけど、仕組みの話が中心で、その最後に民主主義や選挙の意義(つまりDの話)に触れる程度。

が、この傾向が変わりつつある。

昨年来話題になっているのは、政治的事象を積極的に扱っていこうという話。18歳選挙権をきっかけに、これまでタブー視されてきた、具体的な政策の話とか、そういう辺りを扱って行こう、という流れが出始めている。これらは、PやBにガンガン関わる話だろう。
とは言っても、やはり、解禁していくか、抑制的になるべきか、という揺れがあり、現状はゴチャゴチャなんだと思う。特に公職選挙法に触れないように政治教育を行ったり、いかにして中立性を確保しながら扱うか、という部分は現場に大きな迷いが出ているという話。
昨年末だったかな、文科省が「高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について」という通知を出し、ひとまず整理を試みたという段階かな。実際に授業するうえで言えば、この通知によって「気をつけるべきこと、留意すべきこと」はわかるんだけど、ま、それだけで授業ができるはずもなく、難しい状況は変わらない、という感じだろうか。

そんな中で、政策比較表を作ったり、模擬選挙をしたりというような、多くの学校で行える、モデルになりそうな実践が広まり始めているのが、現状だろう。改めてもとのモデルに関わって言えば、ここに来てやっとPやBに関わる教育が広まり始めた、という状況。

偉そうな言い方になると嫌だけど、こういった実践のさらなる広がりに期待したい。

授業では、以上のような話をした。

ここからは、少し話が変わるけれど、若者の投票率向上に向けた呼びかけについても書きたいと思う。このところ、「若い人は選挙に行くべき」という語りと、「そんな事言っても自己満だ」といったような発言、ブログが色々なところで散見される。前述のモデルというか、P/B/Dという分類は、この話を整理するうえでも一つのヒントになる気がする。

これまでの「選挙に行こう」系の話は、Dに訴える系のものが多いように感じる。社会の一員として、みたいな。確かに、毎回必ず投票している人は、Dが高いんだろう。わからないけれど、「選挙に行こう」と若者に訴える人は、おそらく自分自身がこういった類の人であり、若い人にもそれを期待するんだろうな。

でも、もともと「行く気ないなー」って思っている人にそういう話は効果をもたらすんだろうか。なぜなら、Dに関わる話は、これまでも何度となく耳にしているだろうから。その結果として「行く気ない」に至っている人に、改めて、似たような話をして届く可能性はあるんだろうか。

有り得るとしたら、身近にいる信頼する、尊敬する大人に言われたら、もしかしたら影響するかもしれない。逆にいうと、SNSでちょっとしたコラムで訴えても、あるいは、それらのシェアやリツイートを通じて訴えても、なかなか届かないような気がする。

若者の投票率を上げようとする訴えは無駄だとは全く思わない。実際、僕自身、いろんなところで言ってる。中学校の授業でも、ずっと言ってきたし、中3の最後の授業では必ず言ってきた。選挙に行かない大人にはなるなって。今も、非常勤の授業でも言っている。
ただ、共通するのは、身近な、影響力を発揮しうる人に言っている、ということ。

そういう意味で、SNSで訴えるとしたら、若者に「選挙に行こう」と訴えるのではなく、大人に「身近な若者に選挙に行こうと呼びかけよう」と訴えることの方が良いかもしれない。

繰り返しになるけど、若者にとってみたら、「選挙の大切さの話」はこれまでも何度も聞かされているわけで。SNSを通じた薄い関係の人に似たような話をされても変わらないんじゃなかろか。それまでの「選挙の大切さの話」と変化が出るとしたら「誰が語るか」の違い。身近にいる、信頼できる、尊敬する大人から言われたら何か変わるかもしれない。

次に、D以外を推すタイプについて。

支持政党や政策に関する話こみで「選挙に行こう」を訴える人は、B重視かな。(例えば、)今回自民党が勝っちゃうと●●だから選挙に行こう、とか。ただ、これって、聞き手に政治に関するある程度の知識が必要かな、と思う。そこからコツコツやっていく必要がある気がする。時間かかるけど。

逆に、そういう基礎知識を培う段階をすっ飛ばして、ある党が政権を取ることの重要性を訴えたり、逆に、その恐ろしさを訴えて、「だから選挙に行かないと」と訴えるしたら、それは殆ど洗脳に近いんじゃないだろうか。

Pについても、B同様に、基礎知識が必要だし、時間をかけてやるべき取り組みだよなと思う。
もとの話に戻っちゃうけど、この辺り(PB)を高める事が、まさにこれからの政治教育に求められるところだろう。

というわけで、今回のブログは、モデルの紹介やら、政治教育の話、それから、モデルを参考に「若者よ選挙に行こう」運動について見てきた。
いつも通り、脈絡なく(笑)思いつくままに書いてきた感じで、読みづらかったと思います

色々書いてきましたが、要は、

・R=P×B+C のモデルはわかりやすいな
・若者の投票率向上は、若者に訴えるより、大人に訴えた方がいいんじゃないか

というあたりが今回書きたかったことかな。
しかしまぁ、考えても見れば、周りの大人に「選挙行け」ばっかり言われたらめんどくさくてしょうがないだろうなw

とか言いながら思ったけど、選挙に行くかどうかが、そういう事言ってくれる大人が周りにいるかどうかに拠るとしたら、つまり、自分の訴えが政治家に捕捉される可能性が、周りの大人次第で決まるわけで。
これってつまり、選挙を通じて格差が再生産されるような形になるんだね。

ま、今更言うまでもないか。

それからもう一つ思うのは、唯一、手っ取り早く投票率上げられるとしたら、Cを下げることのような気がするってこと。スマホで投票とかはいろいろと壁があるとしても、もー少し工夫はできるような気がするんけどな・・・駅で投票とか。
なんでやらんのだろ。外から見てるとわからない、単純にはわからない「壁」があるんだろな。
あるいは、若者の投票率が上がるとまずい理由があるとか。笑
その辺りわからないけどね。。。

あ、また長くなってしまいそう。
もうやめよう。
その辺はまたいつか。
尻切れとんぼみたいだけど、とりあえずおしまいにします。
ではさようなら。

SIG02 研究会 第4回研究会『教師の学びを促す環境と人事』

JSET-SIG02 教師教育・実践研究
第4回研究会『教師の学びを促す環境と人事』

週末は阪大でSIGの研究会に出てきた。今回は参加者ではなく、シンポジストとして。

環境変化と若手教員の熟達について話をしてきた。基調講演をされたのが川上泰彦先生で、かつ、私と一緒にシンポジストだったのは岐阜の日比校長先生でした。

内容自体も面白かったし、この場(教育工学会の研究会)にこういう人たち(行政経営系)が集まったことも面白かった。そして、この研究会に向けて自分の個人研究に向き合えたことも良かった。

わりと疲れたけど、充実した週末になったと思う。新しい動きもありそうだし。

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内容についての詳細はまた後ほど。ではー。