カテゴリー別アーカイブ: 研究

あらためて、「感情」

最近、グループワーク系の授業の事後検討会に出てて思うけどグループワークとかを振り返る時には(特に学校の場合には)コルトハーヘンさんの8つの窓ってものすごく有効だなと思う。

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特に「感情」に対するフォーカス。わりとあるのが、鍵になりそなフレーズが出ているのに、そこから話が広がりを見せない時。そこを「司会のスキル」とか「対話に慣れてない」って話に持って行きがちだけど、結構「感情」、特に、「怖さ」の影響ってあると思う。

・流れと違いそうな事をいう事への怖さ。
・流れと違う事を言ってしまいそうな時の怖さ。
・みんなの頭に小さなハテナが浮かんでいる時の沈黙の怖さ。

→小さなハテナについて掘り下げるのも、そのまま沈黙しておくのも怖いので、「とりあえず次の人に回す」みたいなことをやっちゃって深まらない。

やっぱり、感情に「も」目を向けるのって大事よね。

とか思いました。

組織を対象に何かをやってる人の誤爆問題

最近、自分でやってしまった話。
学校組織に関する研究や実践をやっているなかで、色々な人の組織系の話を聞くことが多い。
そこで聞いたことを一般論としてSNSに書いたつもりだったのに、周りの人には僕が所属してる組織の問題として読めてしまう書きぶりになっていた。。。

つまり、組織が持つ一般的な課題を書いたつもりだったのに、僕が自組織について愚痴を言ったかのように読まれてしまった。
原因は、自分自身の言葉の丁寧さの不足、それのみ。
こういうことが起きうることをあらかじめ認識しておくべきだった。

反省。

データをもとに対話を促す

ここのところ,「データをもとに対話を促す」ということについて考える機会が多い。
本務でもその他の共同研究でもそういう場面が増えているからである。

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「データをもとに対話を促す」ためには,単なる統計のスキルがあればいいというわけではないと思う。
どんな点への配慮が必要か,以下に幾つかあげてみた。

●対象になる人たちとの協力関係を築くこと
データをとられる人たちは,調査をされることを基本的に恐れている。「調査と対話を希望し,依頼してくる人たち」と,「調査をされ,対話に巻き込まれるひと」とがズレる(例えば前者が管理職で後者が教職員,前者が教育委員会で後者が学校現場の人たち,など)という,プロジェクトの特徴にもよるのだろうけれど。
その恐怖を鎮め,どんな意味があるかを伝え,衝突を回避するやり方を提案し,協働関係を築けなければまず実施に至れない。

●分析にも耐えられて,かつ,対象者の反感を買わない調査項目を作ること
↑にも関わるが,「中の方々」は,調査項目に対してかなり敏感である。「こんなことを聞かれたり暴かれたりしたら困る」という気持ちがある。当然のことである。そこに配慮し,衝突を回避する必要がある。しかし,それでいて,「中の方々」に調査項目をあずけてしまった場合には,例えばMECEにならないとか,ダブルバーレル問題やバイアス問題に陥るといった可能性もある。その間をつく必要がある

●対話のきっかけになる「分析の仕方」「結果の見せ方」
高度な分析をしても,その結果の見方が分かる人はほとんどいない。「ここが○%有意でした」と言っても,その意味するところはほとんど伝わらない。なぜなら,お互いの専門性が異なるからである。分析する側の専門性だけをもとに伝えたって無理が生じるのは当然である。一方で,だからと言って全ての質問の度数分布と平均だけを見せて「はい考えて」では,どこに注目していいかは分からない・・・。その中間にある見せ方をする必要がある。

●対話の場の作り方
データの結果は,時に辛辣である。事前にうかがっていた「うちの組織って○○だと思うんです」みたいな話をズタボロに切り裂く結果が出る可能性もある。しかし,そういうことを暴くのが目的ではなく,あくまで目的はそういうデータをもとに対話し,次の一歩を踏み出すための場をつくることである。単に切り裂くだけの結果になってしまうと,対象の方々は耳をパタンと閉じてしまうし,場合によっては,データや調査そのものについて疑問を持たれることになってしまう。それでは目的が達成できない。その場にいる人の思いに寄り添い,人間関係に配慮し,場の雰囲気作りをしたり,結果の見せ方を考えたりする必要がある。

 

以上4点書いてみた。
それぞれ「・・・する必要がある」までは書いたが,「じゃーどうやってやればいいか」までは書けていない。
正直,まだ暗中模索の段階で,「こうすればいい!(ダーン!!!)」みたいなものはまだ見えていない。
というか,そんなクリアに示せる方法論など最初からなく,どうにかこうにか,その場の状況に合わせて柔軟に進めていくしかないのかもしれない。

まぁ。

そんな感じなのかな。

といったところまで書いてお腹いっぱいになったので,この辺でまた。

教師教育学会と教育工学会

今週末は土曜に教師教育学会@学芸大で発表

→午後から日曜(今日)にかけて教育工学会@東北大

という学会のはしごだった。

 

土曜日は自分がファーストで帝京大中田先生との科研。

自分の中での迷いがある段階で発表をすると,

発表時間は乗り切れても,そのあとの質疑がつらい。

「PLCを用いるわけ」は,せめて自分の中で整理をつけとかねばならないものだった。

ここんとこ生煮え発表ばかりを続けていて,よくないと思う。

が,前に進むしかねーだろー的な気持ちもあるw

 

土曜日午後,移動しながらちょっとした嬉しい情報があって,

久しぶりの人ともたくさん会えて,午後・懇親会とハッスルしていた。

東北のお酒やご飯はとてもおいしかった。

 

今日の学会では,【生徒が授業研究を行う】という事例についての発表があった。

不勉強ながら,そういう事例があることをしらなかった。(常識なんすか?)

そこを研究対象としているグループが,まだ調査をはじめたばかりということで,

詳しい中身については報告されなかったが,今後も注視していきたい。

そのグループはカリマネの視点から見るらしい。

子ども参加の視点から見る可能性も提示されていた。

面白そう。

 

そんなこんなで充実した週末であった。

一方,体はボロボロである。

台風も来るし,早く帰って休も。

 

そんなことを思った日曜17時。

評価のリテラシー

今日はマナビフェスのお手伝い.会場案内やセッションの運営などを手伝いました.

そんなわけでちゃんと聞けた話はなかったんですけど,運営お手伝いをしながら聞いた松下佳代先生の話は勉強になった.特に「評価のリテラシー」の話.先生を国際展示場駅にお見送りする道すがらもその話題になり,ナルホドなと思った.

評価を受ける経験,しかも多くは似たタイプの評価(テストをして結果について相対的な評価を受ける)ばかりだから,評価に対してナイーブになりすぎるんじゃないか,評価をする経験や事なるタイプの評価を受けることがもっとあってもいいんじゃないか,そういう経験を通じて「評価のリテラシー」を高めることも大事なんじゃないか,と.

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評価のリテラシーということはあまり考えたことがなかったので色々と考えるきっかけになった.