カテゴリー別アーカイブ: 自分

時代はどんどん進んでく

また前のブログから時間が経ってしまった.

今年度末は,現在の職場を離れて新しいステージで頑張る人がたくさんいるようだ.

かくいう僕も少し環境が変わる(それについてはまた書く)

僕は早く教師教育のプレイヤーになりたい.

いま,足踏みしてる感が強すぎる.

進む人はどんどん進んでいく.

別に比べるもんでもなんでもないが,そこはかとない焦りが...

でもま,一歩一歩進むしかね.

その前に博論あるしね.

来年度は自分にとって鍵になる一年になりそうな気がする.

「先生の夢」って本を読んだ。 ~働き方改革のこと~

「先生の夢」って本を読んだ。10年前の本。
https://www.amazon.co.jp/dp/4902097192

そこにはたまたま、大学院の仲間で、かつ、中学校教員時代の同僚の恩師であるセンセイの言葉がのっていた。

=====
「息子、産まれました。俺に似てヤンチャだから、先生に担任してほしいんだ」泣きそうな気持ちをおさえて「おむでとう」と伝えた。(正確ではないけど、そんな感じ)
=====

みたいな一文があった。
その一節が、帯になっていた。

僕はこの本に糞ほどに感動した。
「あぁ、、、これだよね」と思った。

でも、このセンセイ達の働き方は今で言えばブラックだ。
残業もしまくりだし、ヤンチャな卒業生が自宅に集まる。
働き方改革でいったら、改善の対象であることはまちがいない。

僕は働き方改革のプロジェクトに関わってるけど、どうしていいのか分からなくなる。
このセンセイ達がシラケるような改革で、ほんとにいいんだろうか。
どろどろとした中からなんとか光を見いだしてきたセンセイ達のその働き方をどう考えたらいいんだろうか。

このセンセイ達に会ったら、いまの働き方改革をなんというんだろう。

ほんとに分からなくなる。

いまのままじゃジリ貧なのもよくわかる。
変える必要がある。
これ多分間違いない。
自分の家族の状況を考えても、そう。

とはいえ、みんながシラけるような、これまでを否定するだけの改革じゃ、ただの悲劇でしかない。

どうしたらいいんだろうなぁ。

分からなくなる。

少なくとも、単なる時関数削減とか、業務削減とか、そういうだけではない、重い、重い重い、相当覚悟が必要な改革であること。

その事は自覚していたいと思う。

リフレクションの幅を狭める必要はないんじゃないか:コンティンジェンシーなリフレクション?

ずいぶん時間が経っちゃったけど,昨年11月,横浜あるある会の研究会にお声がけいただいて,「リフレクション」をテーマにワークをさせてもらった.
(参考:青せんこと,青山先生のブログから 〜先生の働き方design研究所〜
    http://aosenn.hatenablog.com/entry/2017/11/13/044819

その際,「教員キャリアの羅針盤を手にする」というテーマもあって,これでもかというほど「自分」にフォーカスをあてるリフレクションをした.
そのことの反動というか,あまりにも自分にスポットライトをあてることを考えすぎたため,そのことにちょっと自ら疑問を持つ時期があった.

「自分」のことばっか考えて,新たな一歩を踏み出せるんだろうか.
それより,手段とか手法を振り返った方が,次の一手を考えやすいのではないか.
つまり,「あーやって駄目だったから,こーやってみよう」系のリフレクションの方が「次の一手」につながりやすいのではないだろうか,ということ.

準備をしながら結構そういう迷いが生じていた状態になってたんだけど,ワーク中は迷いを振り払いつつ自分にめっちゃ焦点あてた.

それでも,やっぱりなんか頭の中に残っていたのか,ワークを終わったあと,ラーメンを食べながら,青せんともそんな話をした(上記ブログ,ラーメンを食べながら…以後)

で,結局思ったこと.色々考えてみたけど「こういうリフレクションが良い」「こういうリフレクションがダメ」というようなこと,決められるんかな,と.(考えた上での当たり前の結論笑)

むしろ,「こういう時はこういう形,ああいう時はああいう形」ではないかと.コンティンジェントな感じ.

リフレクションを色々と整理する軸はあると思うけど,例えば,特定の出来事を振り返るのか/何を振り返るかを考えるところから始めるか,成功体験か失敗体験か,実践や方法について振り返るのと自分について振り返るとか,前提まで掘り返すようなことを求めるかそれともさらっと「この辺が良かったね」くらいにとどめるのか.未来への視点でいうと,「つぎこーしよー」ぐらいのもんか,持論得るぐらいのもんか,具体的アクションプランまでつながえるのか,その辺もあるよね.

とか様々にあると思うんだけど,「リフレクションはこうやるべき」とか「●●がなかったらリフレクションの意味がない」というような形で幅を狭めるのは,かえってどうなんかな.

だったらなんでもいいじゃん,という話ではなく,その時その場で必要とされるリフレクションがあるんじゃないか,と.

曖昧な言い方になるけど,いろんな意味で当人が苦しい時には,ホッとするようなリフレクションがいいだろうし,キャリアや実践の鍵になるような場面では,がっつり掘り下げるようなリフレクションがいいだろうし,何らかの方向性を探っている時期であればそもそも論から考えるようなリフレクションがいいだろうし.

ちょっと単純すぎるけれど,例えばで言えばこんなイメージ.

そんなもんじゃないか,と.

だから,リフレクションのあり方を狭めたくないなと思うし,プラスして,その人のリフレクションに付きそってくれる,その人のことを理解していくれるパートナー,つまり,「今その人に必要とされるリフレクションを判断してくれる人」って大事だなと思う.

アカデミックにいうと,メンターとかそういう存在に近いんかな,

てなことを考えた2月2回目の土曜日.

同じことしてた

先日(と言っても夏頃)ある教育学者の言葉が,2つの立場で全く違うように見えたことがあった.

ある有名な教育学者が,教育原理的な話をされていることがあった.
研究者集団の一員として聞きに行っていたので,頭の中は(今おもえば)研究者モードだったと思う.その時には,話していることの矛盾とか,強引な論の展開とかがどうしても気になってしまった.

でも,現場の先生でその教育学者の言葉を評価する人はとても多い.
なんでだろなーと思って,次にその人の話を聞く時に,中学校教員モードで聞いてみた.

結果,すごく勇気づけられたw
実践者として自分が大切にしたいと思っていながら出来ていなかったこと,そこに改めて気づかされて,これからもっと頑張りたいなという気持ちにさせられた.細かい論理展開とか,全然気にならなかった.
色々な不確実性や迷いがあったり,小さな矛盾を飲み込みながら日々を過ごしている状況においては,そんな細かい矛盾とかよりも,もっと「大きな図」や「太くて確かな軸」を感じさせてくれる方が大事なんじゃないかと思った.

思い返してみると,1回目も2回目も主な対象者は高校の教員だった.そこに勝手に別の立場から参加して,違うモードで聞いてしまったもんだから,なんだか上手くノレなかったんだと思う.おそらく,その方も研究者を主なターゲットした場では,違う話し方をするんだろうし,そこの場に自分が逆に実践者モードで参加したら,多分,「つまらない」と思ってしまうんじゃないだろか.

そして,よく考えてみると,自分が研究を使って教員の方に研修するときも,細かい精緻で正確な知見を語るというより,大きな絵を見せるイメージで一緒に考えた方が良いなと思っているし,その方がマナビにつながっている実感がある.

なんだー,同じことしてたんだな…

誤解してたごめんなさい.

そんなことを考えた2月初めの土曜日.

原稿頑張らねば.

良い学校組織とは? ~~教科書を読み返してみようシリーズ②佐古ら(2011)『学校づくりの組織論』

「組織」として学校をとらえることは、かつて忌み嫌われたこともある。その理由のひとつは、組織の一員として教員をとらえた場合、教員の自律性が損なわれると考えられたためだ。

職階制の導入などが同時に進められたため、そういう縦の統制的な側面が強く意識された時期もある。今でもそういう側面があることは否定されないが、近年は組織として学校をとらえることは基本的に受け入れられている(と思う。)


追記:↑この点には学校段階によってかなりの違いがある気がする。高校は相対的に見て「個」として動く場面が多いかも。

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背景には、学校を取り巻く状況が複雑になりすぎて、一人では対処できない問題が増えていることもあるかもしれない。

そもそも論から言えば、組織の成立条件は‘’共通目的と貢献意欲とコミュニケーション‘’であって、程度の差はあっても教員集団がこれらを持たないなんつーことはあまりないんじゃなかろうか。

いずれにせよ、学校を組織としてとらえること自体に異論がはさまれることは、ほとんどなくなった。

いま学校づくり関連の業務を担当していることもあって、改めて学校組織論について学んでいる。

学校組織論の目的は基本的には「よい組織」を目指すことだと思うけれど、そうすると当然想起されるのは「どのような組織がよい組織か」である。

居酒屋トーク的に言えば「そんなもんイロイロだろ」なハナシ。どういう状況下にある学校か、どんな目的を持った学校か、による。
究極的には「子どもが育ってるかどうか」で考えればよい(「育つ」の意味は多様だとしても)ようにも思えるけど、昨今の教員の労働環境の問題も考えると、複雑だ。
例えば、子どもはバンバン育つけど、「子どものため」意識が強すぎて教員がすぐ燃え尽きる。が、リソースが豊富なので、かわりの優秀な教員がすぐ雇えて、引き継ぎもバッチリで子どもは育ち続ける…‘’という学校があったとして、それを「よい学校組織」と言っていいかは微妙だと思う。

つまり子どもが育ってさえいればよいというのは単純すぎるのかもしれない。「どんな組織がよい組織か」は簡単には定められないんじゃないだろか。

この問いは、実践的な関心だけでなく、研究的な関心にも深く結びついている。
端的に言うと、組織に関する研究をしたときに、従属変数を何にするか、という話とつながっている。

これ系の話でよく引き合いに出されるのは、「効果のある学校」研究。

「子どもの育ちは、結局社会経済的状況次第で、学校は無力」という考えを批判的にとらえ、「必ずしもそうではない。社会経済的状況を乗り越える学校はある」という考えのもと、そういう学校の特徴をさぐったという研究。

ただ、この「効果のある学校」研究で従属変数になっていたのが学業達成だったため、それにたいする批判的検討が行われた。つまり、「学校組織が目指すのは学力向上だけじゃないだろ」ということ。「学力があがる学校だけを評価するのはどうなん」、と。

そしてそれらが、「そもそもよい学校組織ってなんなんだろ」論につながる、というわけだ。

確かに映画「みんなの学校」に出てきたような学校は、もちろん学力的な効果もあるだろうけど、あの大空小学校の学校組織がよい組織かどうか考えるのに、「学業達成」だけで見てたら捉えきれないというのはよく分かる。

もっと多様な効果があるだろうし、分析するなら多様な変数が必要だろう。

少し回り道をしたが、改めて考えると、「よい学校組織」ってなんだろか。

ここまで出した話のなかでも、「子どもの育ちを考えても学力だけではないし、そもそもこども以外も見ないとね」と考えられる。

さらに言えば、「こども以外」と言ったときにはまず第一に想定されるのは教員だろうし、あるいは事務職の方や技術員さん、スクールソーシャルワーカーさんなども考えられる。

けど、よく考えれば「よい学校組織」を子どもやら教員などの「ナカの人」だけで考えるのもどうなのよ、とも言える。もっと社会全体にとってどうなのかも考えるべきじゃない?というのは当然あり得る指摘だろうと思う。

とか考えると、人生イロイロ、学校組織もイロイロ、多様な多様性でタヨタヨチーン、、、とか頭が混乱してしまいそうであるが、そんなときに指針になるのが、これまでアカデミックに蓄積されてきた「学校の有効性」モデルである。

学校の有効性モデル論において「良い」と示されているものは、ザッッッッッッッッックリ言うと以下のような学校組織。

<1>目標達成できる学校組織

何を良しとしていいのかさ、分かんないからさ、自分達のたてた目標を達成できるような学校組織がいいんじゃない?

<2>内部の状態が良い学校組織

文化とか、リーダーシップとかコミュニケーションとかさ、組織の内部の状態こそ大事じゃない?

<3>問題のない組織

困難、弱み、トラブルがないことって、大事よね?

<4>リソースやインプットを得られる学校組織

いい生徒を獲得できるとかさ、研究指定えられるとかさ、そこ次第なとこあるよね。

<5>関係者にとって「よい」学校組織

生徒、保護者、教師、管理職や教委とかにとって「良い学校」って感じられることが大事よね。

<6>世の中から見て「よい」学校組織

関係者だけじゃなくてさ、社会から見て「良い」と認められなきゃね。

<7>継続的に改善できる学校組織

外部の変化に対応できたり、組織的な改善ができる学校こそ、いい組織よね。

…という感じ。

もちろん互いに重複はあったりするし、どれかさえ満たせばいいって話じゃない。

とりあえず全部の軸で自組織を評価してみる、とかやってみるといいのかも。

1.目標は達成できてんの?
2.組織内部はどうなん?
3.問題はない?
4.リソースやインプットは十分ゲットできてんの?
5.関係者にとっての満足度はどうなん?
6.世の中的に見てもイイネって思ってもらえるんかな?
7.周りの変化にちゃんと対応できてるん?

とかね。
も少し具体化しないと難しいか。
でも、これって一つの軸で考えるばっかじゃ視野狭くなるよね、とか他に目をむけるきっかけになるかも。

あと、合わせて考えたいのは、その軸が機能しうる「条件」みたいなものもあるということ。
例えば、1は目標が明確でないと意味をなさないし、2は内部とアウトカムの関係が明確な場合に有用。3は他の軸が有効であれば優先度は低くなりうる。。。

そういう意味では、「どの軸で″良さ″を捉えることが有効か」を考えること自体が、「自組織の文脈を振り返り、整理する」ことにつながり、有効かもなぁ。。。

そういうワークショップもやってみたい気がする。

なんてね。

…そんなことを考えていた北海道からの帰り道。
離着陸、上昇降下のあいだって暇ですよね。
無事羽田について、今から羽田大勝軒。

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今回書いた「学校の有効性に関する諸モデル」やそれらの「有用性の条件」については、佐古・曽余田・武井(2011)『学校づくりの組織論』の13頁ぐらいから書かれてます。

詳しくは(正しくは?笑)そちらをご参照ください。

では。