カテゴリー別アーカイブ: 院生キャリア

自分のやりたいこと

自分のやりたいことを再確認したので,ここに書いておきたい.

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僕がやりたいのは,「仕組み作りから教員の力量形成を支援すること」である.

そのために,「①教員の力量形成とその要因・背景を分析すること」である.
その結果をもとに,「②政策提言」したり,「③研修開発」したりすることである.
研修に関して言えば,自分自身が「④講師をつとめる」ことも
そして,その政策や研修を「⑤評価」し,その「⑥効果を分析」し,「⑦改善を加える」ことである.

①⑤⑥は研究
②③⑦は研究者としての実践
④は実践者としての実践.

ただ,よく考えたら①→②③の関係と,⑤⑥→⑦の関係は同じ.
【調べて作る】
「⑤⑥→⑦」は,自分の作ったものについても検討するよ,という違いだけ.

より具体的に.
横浜メンターチームは①~⑦全部
川上先生との研究は,①→②③ ①中心
中田先生との研究は,①→③あたり.自治体単位でなく学校単位だけど.
中堂先生との研究は⑤⑥→⑦あたり.
レゴとかリフレクションとかは③④あたり.

教員養成課程で働きたいのも,この枠組みに乗るからだと思う.

プロフィール等,更新しました

町支です.

ここ1か月ぐらい,所属やらもろもろ変わったので,
 ・プロフィール
 ・業績
あたりを更新しました.

あわせて「お知らせ」も見ていただけると嬉しいです.

後ろへ前へ。

近々、東大生のキャリアについての本が出る。
本の趣旨はちょっと忘れてしまったんだけど、とにかく、たくさんの東大生?元東大生?のキャリアを紹介するという本だった気がする。
今回、その内の一人として自分のキャリアについて紹介する機会をえた。
東大の経済学部を出て、中学校教員になって、大学院に戻ってきて、研究の世界で走り出したところ・・・みたいな話。

その中には、指導教員である勝野先生のコメントもあって。
勝野先生は僕のことを「ブレない人」と評してくれた。
その言葉が僕は頭にのこっていて、その時は結構(かなり)嬉しかったんだけど、それ以来、僕の中の何がいったいどう「ブレてない」んだろうと気になっている。

ちょうど最近、岩瀬先生の「根っこ」に関するブログを読んでいて、僕の根っこってなんだっけって思いがあったのにも関わる。
また、先月の中原研のACCで自分の個人研究(異動研究)の話をしていて、そもそもなんでこの研究をやっているんだっけ、ってなことを考えたのも、関係しているかも。

僕の中では、勝野先生の言葉とむしろ逆で、ちょっとここ数年、ブレッブレだなと思っていたりする。
任期のない職、やりたいことをやれる職を得ることに躍起になっていつつも実現しておらず、結果、たぶんこの2年で50くらいの公募に落ちたりして(ま、そりゃ当然だ)、だいぶ自分の心が散らかっている気がする。笑
何が目的で何が手段だったのか。
そのへんが散らかっている。

おっと、自虐っぽくなってしまった笑

とはいえ、別に悲観的になっているわけではなく、グダグダ漂流しつつも、意味のない時間はなかったなと思っている。
それに、2017年度に向けて、結構、楽しみに思っている。
業務がかなり「自分のやりたいこと」に近づいてきたイメージ。
心にボッと火がついていて、やったろー的な気持ちです。

そんな風におもう2017年3月30日14時32分。

NERA2017で発表します

NERA2017の査読(?)通りました。

査読と言えるほどしっかりしたものなのか正直わからないけれど、

abstractがacceptされたことは間違いない。

「こんなもん査読っていうほどじゃないよねーたぶんフリーパスだよねー」とか昔はナメたこと言ってたんだけど。

去年、自分自身が落っこちたことで、「一応ハードルがある」ことを自ら示してしまった。

そんなわけで、今年はそれなりに緊張しながら結果を待っていた。

ら、先日、無事つうかしたと連絡が来た。

よかった。

 

デンマークだ。楽しみ。

専門家は専門家であるからこそ沈黙する 〜足して9.0の問題を通して

足して9.0になる問題の採点が話題になっている。
これについて、僕は「いろんな考えが出せる空気だといいな」と思っている。

多くの否定系(両方○だろ)の方が、「こんなん議論の余地もない」、「小学校教員はアホだ」、「虐待だ」と言っている()。こういう「勢いのある声」が大勢を占めることで、言ってる本人は満足だろうが、私は、それでこの問題は前向きな方向にすすむのだろうか、と危惧している。

この問題は、有効数字の話やら、「こたえはひとつ」って感覚の話やら、いろいろと視点はあり得る。
肯定派につながりうる(と僕が思う)のは、「どの段階(年齢)でどんなことを学ぶべきか」っていうことに配慮するようなカリキュラム論とか、認知科学の知見のような気がするけれど、そういった専門家からは特に声があがってない気がする。

これは、そもそも僕の認識が違う(↑これらの分野はこの問題に出せる知見はない)のか、それとも、口をつぐんでいるかのどちらかではないだろうか。
前者であれば特に問題はないんだけれど、後者の可能性もけっこうあるんじゃないだろうか。

ちょっと考えてみると、そもそもこういう社会的に議論が沸騰した(炎上系の)話題になると、専門家が口を出しづらくなると思う。
なぜなら、専門家であるということは、その領域を生業にしているからである。
評価を落とせば、メシを食えなくなる。

もちろん、学会等での評価と世間の評価は直接リンクはしないし、主に学会(というか研究者間)の評価で職は決まるわけだけれど、研究者余り過ぎの近年において後者のイメージが悪い人をあえて採用しようとはしないんじゃなかろうか。

世間の評価を高めることで、のし上がっていく人もいなくはない。
社会学系にはいそう。
話題性を背景に採用されるとか。
そんなこともなくはない。

が、実際、それはけっこう難しい。
学会で、(それなりに話のわかる)研究者間で議論することは特に問題ないだろうが、どの方向から矢が飛んでくるかわからない、前提も経験もそれぞれ異なる、そして、圧倒的な量の圧力と、罵声の勢いの中で議論するのは怖いし難しい。相当なスキルを必要とする。
何よりも、時間とエネルギーが搾り取られる(経験あり)。

特に、全体的な方向性がかなり一方向に傾いているなかで、それと異なる視点や意見をだすのは、かなりハードルが高い。
そこに発言すれば、瞬く間にツブされるか「何言ってんだアイツ」となるし、議論も成立せず、ただ疲弊するということがよくある。
研究者間でも「あー、あの人、やっちゃったね。黙ってればいいのに。」的な視線を向けられることもあるだろう。
「アイツが発言したせいで、同じ領域の俺らまで巻き込まれたじゃねーか」 という批判もあるだろう。

そういう人は、やっぱり、採用等では避けられてしまうのではないだろうか。

だからこそ、専門家は口をつぐむ。

そういう意味で、どうしたら様々な意見がでうるのだろうか、と思う。

沈黙を金とする日本人の美徳というか、(逆に言うと)発言することへの恐怖感みたいなものもあるだろうし、それへの批判も考えられる。つまり、「言わない奴が悪い」、と。
とはいえ、会議とかそういった場での沈黙を批判することと、こういう荒波の中での沈黙を批判することはそもそも違うんでないかな、と思うし、一方で、何らかの意見をいう時、激しい言葉を使えば使うほど、議論が成り立たないことになるのは、会議もネット上も同じだろうな、と。
むしろ、不特定多数を相手にし、大きなうねりが生まれうる後者であれば、それは尚更ではないだろうか。

そういう事に気をつけないと、いろんな意見が出たり、新たな気づきを得られるような議論にはならないだろうな。

ま、そんな気をつかった言い方じゃ、ネット上のウネりの中では埋もれていってしまうんだろう、という事もわかりつつね。

自分自身は、きをつけていきたい。

あんまり極端な言葉を使わないとかね。。。

以上。