プログラミング教育を何故やるのか

先日、プログラミング教育に関わる報道があった。

2016/04/20 「小学校でのプログラミング教育必修化を検討 文科省」(朝日新聞デジタル)

http://www.asahi.com/articles/ASJ4M5D4GJ4MUTIL044.html

それに関わって、自分の周りでもいろいろな動きがある。
標題の問いについて、これからしっかりと考えていくことになりそう。

この問いを考える場合、
「情報教育に関わる者として」とすると、狭い気がする。
「学校教育に関わる者として」とする考えも必要かな。

というのも、これは、二つの話を考えていく必要があって、、、

まず、「プログラミング教育はどんな意義があるのか」という話。
でも、それだけではなく、「そもそも学校教育はどういうものを取り扱うべきか」という話。

前者ばかりが問われそうだけど、後者も考えないとな。

特に後者は、昔からある大きな問い。
プログラミング教育に関わってこの問いを考える中で、
これまで当然と思われてきた内容についても再考するのは、
自分にとっても大きな意味がある気がする。

パッと思いつきで、だけど、これまでのものだと3つのパターンかと思う。

(1)その内容自体を使うから
(2)その内容を学ぶことで、何らかの力がつくから
(3)教養だから

で、それが「万人にとって」あるいは、少なくとも「多くの人にとって」ていう一言が必要なのかな。そもそもの学校教育の必要性なんかも考えると色々ありそう。
この辺、これから色々読みつつ考えていこう。
歴史的な視点、制度的な視点、色々必要そう。

そして、前者の問い。
「プログラミング教育はどんな意義があるのか」

大人でプログラミングを学んで使っている人に聞くのも大事。
プログラミング教育を既にお仕事として取り扱っている人に聞くのも大事。

その辺が自分は弱いから、いろいろと本当に聞きたい。

とはいえね、「意味あること」であるのは、やはり、必要条件に留まるわけで。
それと後者の問いがかけ合わさってくるんだろう。
「学校教育でやる」必要性とどうつなげられるか、という話。

つまり、「実際使っている人」は、「それそのものが必要だから学んだ」わけで。
それと、学校教育でやることとの違いについては、冷静に見る必要があるとも
思う。

また、企業としてやっている場合は、プログラミング教育に【何かを絡めて】セットで
やっている場合もあるわけで。
そういう場合と、学校教育でやること、その理由付けになるようなことと
どんな関係があるのかは、やはり、丁寧に見ていく必要はある。
つまり、プログラミング教育とリーダーシップとかを絡めるなら、
プログラミングを通してやれるリーダーシップ教育はどんな意味があるのか。
それらは、これまでのものとどう違うのか、その辺も見ていきたいと思ったりもする。

っていうかさ、よく考えたら、プログラミング教育って何を指しているのか、って話もあるよな。その辺は、何を目的としてプログラミング教育って話に絡んでくるから、結局、鶏が先か、卵が先かみたいな話かもしれない。

それにしても色々考えることはありそう。
こういう問題は、得てして【宗教対立】に陥りそうな気配がムンムンにする。
既にICT周りにある宗教対立を冷静に見つつ、そこに参戦するというより、
どうやったら前向きに進めていけるだろうか、という思いで、
プログラミング教育を整理をしていけたらいいなと思う。

「これからの時代、必要でしょ」とか、
「この世にコンピューター溢れとるんだから、それがどう動いてるかは知る必要がある」とか、
よく言われたりする。
「海外じゃこんだけやってる」とか
「日本は遅れてるから」とかもね。
確かにそうなんだけど、それだけじゃ、プログラム教育を意味あるものにする、
つまり、全国にあるたくさんの学校で前向きにプログラム教育が進められるような
後押しになるような「意味」としては弱い気がする。

つまり、多くの先生が腹落ちする話をね。
見定めていきたい。
それがないとさ、これまでの「絵に描いた餅」モデルと一緒になるやん。
そうならないようなさ、そういう方向性が、見えるといいよね。

——

そういえば、オバマさんがプログラミング教育について語った話があったような。
後で見てみよ。

 

Code部 : https://blog.codecamp.jp/obama_programming

オバマ氏、「すべての人にプログラミングを学んでほしい」

オバマ

コメントを残す