続・組体操廃止運動に思うこと

最近また盛り上がってますね。
と思ってたら、急に前のエントリーに関わるPVが伸びてました。。。

組体操廃止運動に思うこと

いくつか、補足をしたいと思います。
(今回も研究モードではないです。現場モードです。)

●「外野は黙ってろ」ではない

巨大組体操はやめた方がいいと思います。
そのための社会運動は有意義だと思います。

ただ、内田さん(おそらく先輩)がやっているような、嘲笑で盛り上げて「よってたかってバカにする」みたいなのはやめた方がいいという事です。
普通にRTして問題点を指摘すればいいのに、前のエントリーで指摘したような、完全に嘲笑したtweetいっぱいありますよね。

そこに僕が感じるのは、「学校的なもの」に対する嫌悪です。

巨大組体操に対する問題視だけでなく、どこか、「学校的なもの」に対する嫌悪がにじみ出ているように感じます。
特に組体操は、その歴史的な背景やら諸々あって、おそらく教育社会学の方が忌み嫌うような「学校っぽさ」がムンムンに出た取組ではあります。

それを嫌う人がいるのは分かりますけど、巨大組体操の危険性やそこに冷静になれない問題と、学校を嫌う気持ちとは切り離してほしい、という事です。
何故なら、必要以上に委縮させるから、という事です。(この点については後述します)

僕にはそれが混在しているように見えます。
違ったらすみません。

●組体操そのものの問題と巨大化組体操の問題

上に書いたように思う理由の一つが、巨大化組体操への批判と組体操そのものへの批判の混在です。
これも上に書いたように、組体操そのものが嫌いという気持ちを持つ人がいるのは分かります。
でも、もともと問題にしていたのは組体操そのものでしょうか。
今まで行われてきたような、普通の組体操もやっちゃだめですか?
組体操に感動を期待する事は悪ですか?愚ですか?

それだけに熱狂して、【安全かどうかを無視する事=巨大化ピラミッドを行う事】が悪であり愚ですよね。

という事が言いたいのは何故かというと、「組体操で成長なんかしなかった」「組体操で感動なんかしなかった」みたいなのがたくさんRTされてるからです。
「巨大ピラミッドは嫌だった。危なかった。怪我をした。意味なかった。」的なものにまざって、そういうものがRTされてますよね。

逆方向から言えば、「巨大化ピラミッドで感動させたい」を批判するのは分かるんですけど、「組体操で感動させたい」「組体操に成長を期待する」的なもの全てを批判してるように感じます。

そこが混在している事から、「組体操そのものへの嫌悪≒学校的なものへの嫌悪」がにじみ出ているな、と私は感じました。

私の勘違いかもしれません。

●教育効果云々

これは、本筋から離れますけど、上記の点に関わります。

RTされた多くの「教育効果なんか感じない」のもともとのtweetに関わるものです。

(組体操そのものに)「教育効果なんか全くない」みたいに感じる人もいるでしょう。
文化祭も体育祭もそう感じる人もいるでしょう。

それはそうでしょう。

行事一つで大半の子が成長するなんて、絶対にあり得ないっす。
むしろ、一つの取り組みで例えば人数的に言って1割も成長するような取組なんてないでしょう。

行事なり、掃除なり、普段の授業での一言なり、ケンカのあとの一言なり、、、
一つ一つの取組で成長する人は一部であり、でも、多様な出来事があるなかで、その「成長する人」が移り変わりながら、
結果的には、全体として成長していく。
学校での取組ってそういうものじゃないですか?

一つ一つの出来事を個別に取り上げて「成長を感じた人」と「成長を感じてない人」を比べたら、
成長を感じてない人の方が大いに決まってると思います。

普段の出来事の中に効力感を感じられていないけれど、組体操の中ではそれを感じられる子が一部でもいれば、
あるいは、保護者や地域も含めた全体の中で一部でもいれば、
【それに見合う、最低限のリスクに抑えられるのであれば】組体操(巨大化組体操ではなくね)をやる事って意味があると思いますよ。

それは、結論としては、内田さんらの本来の主張である巨大化させない普通の組体操って事だと思います。

巨大化させたらリスクとリターンが完全に見合わない。
普通の組体操なら、それは、どちらも小さいながらもバランスはとれるんじゃないでしょうか。

ただ、「自分がそうだったからリターンゼロ。故に廃止。効果があるとか言ってるやつはアホ。」みたいなのは単純すぎるよなって事です。

これって、学校教育が語られる時にいつもある問題かもしれませんが。

●学校の委縮と巨大化への熱狂が何故両方存在するか

これは単純なことです。

違う学校であり、違う地域だからです。
巨大化の熱狂に支配されている学校(地域)と、下らないクレームに弱い学校(地域)は別だという事です。
前者は批判されるべきであるけれども、それが後者に属する多くの学校に及ぶのは良くない、
そして、それが起きるのは、巨大化組体操への批判と組体操そのものへの批判が混在するから、というのが自分の考えです。

もう一度。

【巨大化の熱狂に支配された学校はもっと委縮すべき(というか冷静になるべき)だ】

というのは完全にその通りだと思います。
そういう運動をやりたいのだということは良く分かります。
それは完全に正しいし、熱狂に支配された学校は、本当にどうにかすべきだと思います。
その意味で、この社会運動は有意義な事だと感じます。

じゃー自分が何を問題に感じているかというと、

巨大化組体操への批判に組体操そのものへの批判を混在させてしまうと、多くの普通の学校まで委縮させてしまう、という事です。

巨大化させずに普通に組体操をしている多くの学校、これは、周りの目に敏感になっている多くの学校と言ってもいいと思いますが、、、組体操そのものへの批判まで及んでしまったら、そういう学校にまで委縮が及ぶという事です。

だから、

【巨大化組体操への批判と組体操そのものへの批判は切り分けるべきだ】

という事です。。

学校的なものを嫌うのも分かるけど、それがにじみ出て組体操そのものへの批判にまでつなげちゃったら、多くの普通の学校(今回のもともとの問題とは関係ない、安全を考えて普通の組体操をやっている普通の学校)まで委縮させちゃうから、やめてほしーなーーー。

そんな感じです。

まぁ、前にも書いたけど、運動やっている人からしたら、
ラジカルにすすめなあかんぜよ、そんな事気にしてられんぜよ、
気にしてたら結局対して変わらないっつーオチになるでしょ。
みたいな事かなと思います。
確かにそうなんだけど。

巨大化ピラミッドは早々にやめてもらわんといかんしね。
大怪我させられたらたまったもんじゃない。
後遺症残るような事が起きたらたまったもんじゃない。
確かにそうなんだけど。

でも、出来る事なら、ちょっと切り分けてほしーなー的な感じです。

「一部の問題(学校)を批判して、学校教育全体が委縮していく」といういつものパターンが見える気がして。。。

そんなわけで書いてみました。

おしまい。

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